大島新「シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録」

 先日、「夕坂童子」の記事で紹介した唐組を追ったドキュメンタリー映画を観てきた。2007年公演の「行商人ネモ」の脚本が出来上がってから、大阪公演初日を迎えるまでの記録である。多くの人の脳裏をよぎる「なぜ、今、唐なのか?」という疑問。唐の人となりと、そこに魅了され、唐にすべてを捧げる、平均年齢30歳の劇団員の生活が映し出される。
 唐組の光景は、家父長制のもっともよい部分とダメな部分をまざまざと描く。子供のように笑い、穏やかな顔で自説を述べ、愛される唐十郎。また、稽古場でつける演出は天下一品である。その一方で、唐は酒に酔い、怒鳴り散らし、劇団員を罵倒する。ダメ親父の典型例だ。
 フェミニズムをやっていると、基本的に家父長制こそが、女性蔑視を生むような気がしてくる。そして、その構造があることは、ほとんど間違いがなく、私もこのシステムが好きではない。しかし、同時に、「いかに家父長制というシステムに、自分が魅力を感じているのか」という問題を唐組の映像をみていると自覚せざるを得ない。私は唐組における暴君家父長である唐十郎を、どう考えてよいのかわからなくなる。これは、連合赤軍に巣食った、あの集団の暴力性と、同じ性質のものだろう。しかし、何か違う、と思ってしまうのは、私の目がくもっているのか、実際に違いがあるのか。
 ただ、はっきりしているのは、唐十郎に才能がなければ、私は唐さんの暴君っぷりを肯定することはありえない。ということである。最後に公演の映像が流れると、あれだけ罵倒された上で成り立つ芝居が、ここまで面白いのならば、もうあとは何でもいいんじゃないだろうか、と思ってしまった。そして、最後に唐はカメラに向かって「自分を演じるのが、一番難しいなぁ」とつぶやき、にやっと笑う。実際に、この映画の中で、唐さんがエキセントリックに振舞う演技をしていたのかどうかはわからない。それでも、この台詞をこれだけ説得力を持って言えてしまう。もうその時点で私は白旗である。*1
 最後に、監督の大島さん、お疲れ様でした。途中で唐ワールドに引きずり込まれ、きっとこの映画の構成を位置から組みなおすことになったでしょう。若い劇団員の成長を追うはずが、そんな目論見は空中分解。監督は唐さんのこと、好きになりすぎで、焦点がぶれちゃってます!いよっ、さすがは唐十郎

*1:私の演劇評が、いつもイマイチなのは、演劇家に対する憧れが強すぎるからだ、という自覚はありますが…