被害者と政治

 明日、光市母子強姦殺人事件の判決が下る。この事件の裁判は、日本の被害者運動史のメルクマールとなるだろう。運動を牽引してきたのは、「全国被害者の会(あすの会)」である。2007年6月に成立した法律(被害者参加制度を盛り込んだもの)の試案作成に関与し、飲酒運転への厳罰化などへも働きかけてきた。自民党と連携し、日本で最初の政治力を持った犯罪被害における当事者団体である。また、死刑の必要性を訴えているところも特色である。
 一方、「あすの会」とは別の方針を打ち出してきたのが「被害者と司法を考える会」である。こちらは、修復的司法の導入*1を主張する。この点で、死刑や厳罰化を求める「あすの会」とは真っ向から対立している。また、代表を務める片山徒有は、被害者遺族であるが、当事者性は強く出していない。民主党からのヒアリングなども最近は行われており、政治力をつけつつある。
 上記は、2つのグループを、非常に表層的に図式化し、対比させている。明日の判決は、これらの団体の政治的働きかけが、関与していることは念頭においておくべきである。素朴に「被害者のために」「世論の力で」といったものではない。何年にもわたって続けられてきたアイデンティティポリティクスの集大成である。

 日本における被害者運動は1990年代後半から盛り上がり始めた。それまで、口をつぐまされてきた当事者が、お互いに支えあう自助グループのネットワークを作り始める。その中で、被害者の置かれている社会的立場が、当事者によって問題化され、政治への働きかけの必要性が認識される。また、ジャーナリズムによって、これらの動きは取り上げられてきた。
 「あすの会」は代表が法曹関係者であることもあり、積極的に司法改革に取り組んできた。しかし、その出発点は、やはり、当事者同士のゆるやかな共感のためのネットワークであったことは強調しておく。被害者の置かれている状況とは裏腹に、牧歌的ともいえる連帯が可能である時代が、確かにあったのだ。
 しかし、どんな運動体であろうが、共通することだが、組織が大きくなれば分派し、主義主張がぶつかり合うようになる。その中で、被害者の論理は磨かれ、洗練されてきた。それとは引き換えに、苛烈な政争が始まる。私は、詳しい内情は知らないが、「あすの会」と「被害者と司法を考える会」の、ややもすれば、お互いに攻撃的ともいえる表現が使われている、現在の主張の対立を見ると、慮るものはある。
 これは、共感のネットワークが、政治団体に移行するときに、必ず起きることだ。代議制民主主義は、その本質を多数決原理、すなわちポピュリズムに持つ。そのため、大衆を扇動し、政局を動かす戦略と手腕が必要になる。もちろん、その究極のかたちが全体主義である。だが、重要なことは、「民主主義が悪である」ということではなく、「我々はこのほかに選択できる政治体制がない」ということである。この現状の中で、いかに自分たちの政治的主張を採用させるのか、という戦術が問われる。

 2007年6月までは、「あすの会」が法律知識と自民党とのパイプで、圧倒的に政局をリードしてきた。しかし、私が(特にアカデミズムの流れを)見るかぎり、これからは「被害者と司法を考える会」の主張する、修復的司法の導入へと政治情勢はシフトしていくだろう。ここ1年間の修復的司法を扱った書籍の刊行数は激増している。死刑を強調する風潮への反動で、世論の風向きは変わりつつある。
 これから何が起きるのかは、はっきりしている。遅かれ早かれ、大規模な被害者団体へのバックラッシュが始まる。もしかすると、上記のような、政治活動があったことが明らかになると、「純粋な気持ち」で「死刑賛成!」を唱えた人たちが反発するかもしれない。いつも、社会的弱者に対する政局は、「かわいそうな弱者」以外には興味を持たない「弱者好き」に、キャスティングボードを握られている。
 明日の判決がどうあろうとも、この話題で騒ぐ人たちの多くは、舌の根も乾かぬうちに被害者団体をバッシングするだろう。そのこと自体を憂いてもしかたがない。それ以上に、バッシングをどう受け止めるのかが、重大な問題になってくる。
 だから、判決の出る前の今日のうちに、この記事を書いた。被害者団体は、昨日、今日の思いつきで、この裁判に取り組んできたわけではない。それまでの長く厳しい草の根の活動を過程に持ち、対立の中で切磋琢磨しながら、政治活動を続けてきた。これは、代議制民主主義国家のおける、政治活動のダイナミズムの一つである。見逃してはならない構造があることを、この件についての注記として、書いておく。

*1:以前から何度か書いてきたが、私は修復的司法について興味を持っている。しかし、この制度は非常に扱いが難しく、下手をすると「こころのケア」(←いい意味で言ってません)の一環と捉えられるため、導入には慎重に考えている。また、詳しく書くつもり。