アフガニスタン、難民、暴力、教育、ジェンダー

id:kanjinaiさんが紹介していた研究セミナーに参加した。

アフガニスタン・研究セミナーとシンポジウムのご案内

■ 研究セミナー

日 時:平成20年1月29日(火)午後1時〜5時

場 所:奈良女子大学生活環境学部会議室(A棟1階)

ゲストスピーカー

バトル ネザミ(AREUリサーチアシスタント

  「愛と恐れ、そして規律−ファミリー・ダイナミクスとファミリー・バイオオレンス」

            (発表:ダリー語、日本語通訳有)

斉藤真美子(AREUシニアリサーチオフィサー)

  「アフガン近隣諸国における難民第二世代」

少人数*1で、貴重な話が聞けたので、フィードバック。

 今回のセミナーは、AREU(http://www.areu.org.af/)という組織が行った調査を報告することが主たる内容だった。AREUは、アフガニスタンの独立法人組織で、質的調査を中心に、政策提言につなげるような研究を行っている。以前からあった組織のようだが、2002年以降、活発に活動している。主なリソース提供者は、欧米の大使館など。組織の構成員は、欧米の研究者が指揮を執り、アフガニスタン人自身による調査をすすめる。おそらく知的インフラ整備の一環である。斉藤さんは、現地人による現地人が必要とする調査であり、現地人の主体性を尊重していることを強調していた。
 興味深い調査結果が出ている。

Love,Fear and Discipline: Family Dynamics and Family Violence Conference

 アフガニスタンにおける、いわゆるDVに関する調査報告である。被害数や悲惨さを調査するのではなく、家庭内における暴力を起こしている構造を調査した。目的は、暴力を減らすことである。半構造的手法によるインタビューである。今回の調査では、家族の構成メンバーの学歴と戦争経験は暴力との相関関係があることが明らかになった。しかし、貧困は暴力との相関関係がなかった。つまり、アフガニスタンにおいては、豊かな家庭でもFamily Violenceは起きている。主な加害者は、年長の男性である。妻や子供が被害者となっている。
 多くの加害者は、殴ることがよくないことだと認識している。「暴力をふるいたくないが、ほかに家族に言うことをきかせる方法がわからない。どうしたらいいのか」「暴力を抑えたいが、抑えられない。どうしたら抑えられるのかわからない」という相談を、調査者がうけることもあった。
 暴力を減らす方法はいくつかある。まず「声を出して助けを求めること」である。周囲が気づいて助けてくれる。また「年寄りが相談にのること」である。親戚の長老などが話し合い、加害者に暴力をやめるように命令する。さらに、「文化規範が変化すること」である。アフガニスタンでは、人口移住により、別の文化との接点を持ちやすい。外の世界の刺激が、暴力を起こしているような構造を変化させることがある。
 実際に、二例の事例報告がなされた。一例目は、豊かな田舎の家庭に暮らすサマンダである。サマンダの父親は、妻と子供たちに暴力をふるっていた。サマンダは自分の妻に暴力をふるわないが、兄は自分の妻に暴力ふるう。父親の死をきっかけに、サマンダは兄にも暴力をやめるよう働きかける。
 二例目は、貧しい都会の家庭に暮らすサキナである。サキナの夫は、暴力をふるっていたが死亡した。夫の家族は、サキナに同じく暴力を振るう夫の兄と、再婚するように命令する。しかし、サキナの娘たちが、暴力の被害を訴えて病院に駆け込むなど、再婚を阻止しようとする。サキナたちは、人権委員会に暴力の被害を届け出るが、サキナの新しい夫が否認した。そこで、サキナの親戚の長老たちが話し合い、新しい夫に暴力をやめるように命令した。
 以上の報告より、ネザミは次の三つの暴力を減らすための方法を明らかにした。一つ目は「マスコミなどを通して、それぞれが、それぞれのやり方で解決させること」である。二つ目は、「それぞれの家族には、それぞれの暴力に反対するひとがいるので、その芽を育てること」である。三つ目は、「暴力の悪影響を伝えること」である。そして、社会的解決が可能ならば、より暴力を減らすことができるだろうと、結論づけている。
 
 後の質疑応答で、私が議論の題材に取り上げたのは、サキナの事例である。日本のDVに関する文脈では、共同体が機能しないため、公的権力の介入が必要だと結論付けられることが多い。しかし、今回の報告では、公的権力が介入できないので、共同体が自助努力により解決に導いている。バトルさんによると、人権委員会には、法的効力がない。そこで、年配の人たちは法と同じ権力を持っているので、命令したということだ。

Second-generation Afgans in neighboring countries

 第二世代と呼ばれる若年層のアフガン難民に関する調査である。これまでの調査によると、イランにいるアフガン難民の71%が30歳以下であり、パキスタンにいるアフガン難民の78%が28歳以下である。パキスタン*2政府の発表によると、パキスタン*3にいる84%のアフガン難民が「帰還しない」と調査に答えている。しかし、その「帰還しない」という心情は、いかなるものなのか、というのが今回の調査であった。また、これまでの質的調査では、長老などの年配男性の語りに偏りがちだったが、今回は青年への調査である。さらに、先進国への難民ではなく、近隣諸国に移動した難民への調査という点で画期的であった。
 調査が行われたのは、パキスタン(難民キャンプを含む*4)とイラン(都会生活者中心)、加えてアフガニスタンの帰還民である。国境などの危険地帯での調査はできなかったが、帰還民を調査したことにより、そこで暮らした経験のある難民の語りも含まれている。実際のインタビューは1時間半〜2時間であったが、調査対象者を探し出すのが大変だった。探して、許可をもらい、同意して、リラックスしてもらうまで、大変な労力を費やした。調査は、半構造的手法を用い、オーラルライフヒストリーを聞き取った。
 アフガン難民は、実際のアフガニスタンに触れる機会が少ない中、アフガニスタンについて学ぶ。アフガンは非常に多様性であり、人や、状況によって語られ方がばらばらである。インターネットやマスメディアから得られる情報も、文脈によって大きく異なる。しかし、アフガン難民の多くは「アフガニスタンに帰ったときに後ろ指を差されることのないように、誇り高きアフガニスタン人になりなさい」という教育を子供にする。アフガニスタンにいるときよりも、より「名誉あるアフガン人」というアイデンティティは求められる傾向にある。しかし、状況によって、若いアフガン青年たちはアイデンティティを変容させなければならない。たとえば、警察に「私はイラン人です」と答えることがある。しかし、そのことは、親には言えないという。また、アフガン人であるということは、他者との関係の中で気づいていく。あるアフガン青年は「イラン人だと思っていたのに、友人から『お前は難民だから出て行け』といじめられたところ、母親からアフガン人であることを聞かされた」という。
 また、アフガン難民は、パキスタンに暮らす人と、イランに暮らす人では、両国の難民に対する政策、文化、歴史の異なる背景により、そのような複雑な環境がアフガン難民青年層の自我意識形成に少なからず影響を及ぼしている。*5イランでは、アフガン人は「美しいイラン語が話せない」「アフガン人であることは恥ずかしい」「差別されている」などと感じることが多い。一方、パキスタンではアフガン人は「アフガン人として生きるか、パキスタン人として生きるか選べる」「パシュトゥーン人同士で、お客さんと扱われる」「もっとアフガン人としての主張をしたい」などと感じることが多い。イランに暮らすアフガン人が帰還すると「お高くとまった"Ilan gaki"」などと揶揄されるが、パキスタンで暮らすアフガン人は多様であり、一くくりにする蔑称などはない。
 また、多くのアフガン難民の青年は帰還するのかしないのかの間で、非常に揺れている。もちろん、アフガニスタンの状況はひどく、帰還しない理由はたくさんある。しかし、「故郷」「自由」「自分の国」など、彼らをアフガニスタンにひきつけている要因もある。また、アフガニスタンは、政治的状況により、出入国のしやすさが大幅に変わる。その変化の中で、常に思い悩んでいる青年がたくさんいる。
 また、アフガニスタンへの批判として"Education & Islamic Identity"の欠如が難民から出ている。前者は、マドラサ(神学校)が整備されていないことである。ここでいう教育とは、宗教教育が含まれることが重要である。後者は、昨今のカブールへの批判である。空爆以降、外国人がカブールには駐留し、アルコールやレストランが増えた。そのため、堕落しているとみなすアフガン人もいる。

 その後のディスカッションでは、アフガン青年たちが将来をどのように描いているのかに、焦点が当てられた。アフガン青年たちの夢は、「医者」「エンジニア」「先生」になることだと決まっている。しかし、そんな質問ができるのは、学校に通っている青年たちの場合である。あまりにも過酷な状況であるときは、とても聞けない。特にカブール*6では、一年に一度父親に会う以外には、外に出られない女性にインタビューがなされた。彼女は、カブール大学に通うアフガン*7女性を見て「私は彼女たちがうらやましい。彼女たちは、笑い、夢をみて、外を歩ける。私が望むのは、彼女たちが、私のような夫を選ばないこと、このような夫と結婚させられないことだ」と語った。
 また、アフガン青年たちは、「この国はどうすべきだと思う?」と聞かれると「政府が工場を作り、働く場所をつくることだ」と答える。しかし、そのためには、治安を安定させなければならない。まずは、平和でなければ、何もできない。
 

以上は、配布されたレジュメと、私の聞き取りメモを起こしたものである。個人的な記録に過ぎない。誤りがある可能性があるので、了承願いたい。また、詳しい内容は、AREUに問い合わせて確認してほしい。

 どちらも「かわいそうな難民」ではなく、難民がどうサバイバルするのかに焦点を当てた調査である。バトルさんは、家庭内にすでに暴力を止めようとする萌芽が生まれていることを報告するし、斉藤さんは「難民は資産である」とし、逆に人口移住によるダイナミクスを肯定的に捉えようと試みている。どうしても悲惨さばかりを強調して、今日もアフガン人が生きていることを遠景にしがちなので、刺激を受けた。
 しかし、内容以前の問題として、考えることもいろいろあった。今回のセミナーで、バトルさんの発言は決して多くなかった。なぜなら、バトルさんだけが、日本語を話せないからだ。また、バトルさんと斉藤さんに「アフガン難民はどう考えているのか」を代弁することを求めることになる。もちろん、特に斉藤さんは、かなり丁寧に「アフガン難民」の価値観と、自分の価値観を分けて発言していたし、配慮も十分になされていた。それでも、普段「代理表象は云々」と言っているので、「これでいいのか?」と思う。もちろん、よくはないが、知らないよりは知ることを選びたいし、少しでもアフガン難民の現状が伝わることは必要でもある。最後に、バトルさんは自身がアフガン難民であることに対して、考えを述べた。帰還するにあたり「あなたは楽をしてきた」と言われることはわかっていた。それでも、自分が受けた教育を持って、今度は自分が与えると決めた。だから、なんの後悔もない。何を言われてもかまわない。そういうような内容だった。覚悟の伝わる、強い言葉だった。
 あと、余談だけれど、ジェンダー比率が、男:女=2:13くらいだった。すごい……フェミニズムの集まり以外で、こんなの初めてです。女子大ってこんなもんなの?衝撃でした。

追記:
斉藤さんより、ご指摘いただき、数箇所を訂正しました。すいません。

*1:ていうか、全員奈良女子大関係者のみなさまで、私は激しくstrangerでした。いつものことだけど。

*2:イラン

*3:イラン

*4:中心

*5:別の感覚を持っている。

*6:ヘラート

*7:イラン人