阪神淡路大震災の記憶を語ること

 毎年、義務のように何か書かなければならないと思う。今年で13年目になり、あのとき子どもでなにもできなかったのは、私の罪でないことがようやくわかってきた。いつも、神戸*1で生まれ育ったことを言い出しにくいと感じ、震災について語るのはおこがましいと負い目を持ってきた。これが、サバイバーギルドと呼ばれる、災害の生存者に起きることの多い心理状態だということも、最近知った。
 私は、直接の被災はほとんどしていない。揺れは経験したし、その後の街の混乱も肌身で感じている。しかし、それ以上に私に震災を印象付けてきたのは、周囲の人々の語りである。トラウマを語る人の、ひきつるように笑う表情や、ふっと陰が落ちる瞬間を当たり前のように目にしてきた。同時に、その精神状態を共有できない私は、ずっと神戸に住みながら、神戸市民の資格がないような疎外感を持った。そこで、疎外から逃れようと、過剰に「忘れない」ことを自分に課してきたように思う。彼らの語る記憶を共有し、「神戸市民」(=被災者)というアイデンティティを得ようとしてきた。

 アメリカに住む批評家であるアンドレアス・ヒュイッセンは、このような記憶の共有を基盤にした共同体を作るムーブメントを「記憶の肥大化」と呼んだ。もちろん、ニーチェの「歴史の肥大化」という言葉に倣っている。忘却することを恐れ、過去を語り記録することを過剰に求める風潮が、このムーブメントを作り出す。特に、顕在化しない当事者の「生の声」が尊重される。
 ヒュイッセンは、記憶の肥大化」が近代化の延長線上にあるという構造を洗い出す。
 「記憶の肥大化」は、これまでにない新しい、同一性を要求しないポストモダン的な、政治戦略にみえる。リベラリストは、共同体の総合的な歴史から零れ落ちるような個人の記憶を尊重しようとする。しかし、それらの記憶を集合させ共有させる時点で、また共同体主義に接近してしまう。コミュニタリアンは、個人の記憶を集団で共有することで壊れかけた共同体を再生させようとする。しかし、それらの記憶が個人的であるため差異が際立ち、個人主義に接近してしまう。「記憶の肥大化」はリベラリストコミュニタリアンの両者ともにとって魅惑的でもあるのだが、両者ともにとって毒にもなりうる。
 さらに、記憶という個人的な過去を尊重することは、一見、未来志向の資本主義の加速化に抵抗しているようにみえる。しかし、「記憶の肥大化」に伴う記念館の建設は別の側面をあらわにする。それは、記憶を商品化し、陳列棚に並べることで消費してしまう側面である。「記憶の肥大化」は、資本主義に抵抗するのではなく、結託して相互作用でさらに両者ともが肥大していく。
 「記憶の肥大化」は近代社会の産物であり、より近代社会を強化するように働いていると指摘する。一方で、ニーチェの「歴史の肥大化」と、現代の「記憶の肥大化」の相違点も指摘する。それは、デジタルアーカイブの存在である。
 私たちは、デジタルアーカイブの発達により、過去の資料を、半永久的に無限に貯蔵できるようになった。ヒュイッセンは、これからは、必要なときには必要な記憶を取り出し、使い捨てていくような環境が整っていくことを示唆している。「生の声」を求めていく先には、(もっとも生と程遠いとされる)「バーチャル空間」が待っているのだ。

 ここで、震災の話に戻そう。

 震災のもっとも有名なモニュメントはルミナリエである。今年、赤字で存続を危ぶむニュースが流れていた。ルミナリエは、イタリアから毎年借りてきて、本場の職人が設置する。当初は、復興のシンボルとして数年だけ借りる予定だったが、クリスマス前のイベントとして定着したため、13年間続いてきた。動員数は少なくないはずだが、やはり1年目2年目とは、比べ物にならない。このまま、予算がつかなければ、中止になるかもしれない。
 そんな話が出た今年、神戸市が発表したのはこのような企画である。

 阪神・淡路大震災で母親を失い、体調を崩した父親も翌年に亡くした男性デザイナーが、インターネット上の仮想空間「セカンドライフ(SL)」に、震災死者を追悼する場を同僚とともにつくっている。十六日から公開予定。男性は「いずれはSL内で世界中から訪れた人が、ここを入り口に、防災の知識や技術を身に付けられるようにしたい」と話す。

(http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0000796415.shtml)

日本だけでなく、世界の人にも震災の記憶を共有する可能性を広げる試みである。これは、まさにデジタルアーカイブの強みを生かしていると言えるだろう。
 こうして、私たちは、個人の記憶を世界の人に共有することを求めていくことができるようになる。それは、個人史と世界史を直結させる欲望を刺激する。私に起きたことが、世界にとっても、重要であるかのように語る。そうして、個人と世界のつながりを感じようとする。その欲望自体は、良いものでも悪いものでもない。

 ヒュイッセンは、次の例をあげる。それは、9.11後にアメリカの国民がとった行動である。彼らは、ワールドトレードセンターを「グラウンドゼロ」(世界の始まりの地点)と聖地化した。そして、9.11以降、いかに世界が変わったのか、という言説が流布していく。NYというある地方で起きた事件は、世界史のできごととして語られるようになる。
 ヒュイッセンは、その流れに杭を打とうとする。ヒュイッセンは、「私たちが失ったのは、NYの二つの大きなビルがそびえ立つ風景である」という。「いつもある風景が崩れてしまったという、ふるさとの喪失に悲しんでいるのだ」と主張する。ここには「敵」を峻別するわけではなく、ここにはいない「友」のために、9.11を語り継ごうという姿勢がある。

 記憶を語ること自体は悪くない。記憶の共有によって、共同体を再生する試みも可能だろう。しかし、注意は必要なのだ。そこに「敵」を生み出す契機が隠れていることがあることだ。それは、共同体をつくるときに、排除が起きる可能性が高いことも含んでいる。
 私たちは、まるで記憶を語り共有することはいいことかのように思っている。たしかに、悪いことではない。けれど、無批判に受容していいほどいいことではないだろう。

*1:今回の記事では神戸に限定して書いた。もちろん、神戸市外にも被害は大きかった。しかし、とりわけ神戸市の場合は共同体再生に対するエネルギーが大きく働いてていたように思うので、特化して書いた。