id:Yu-uさんのブログ経由で。
◆□◆ トランス・ポリティクスの可能性 ◆□◆
日時:2008年01月25日(金)16:30〜19:00
報告者:中村美亜(東京藝術大学非常勤講師)
堀江有里(立命館大学非常勤講師)
主催:国際言語文化研究所プロジェクトA1
Yu-uさんのテーマの解説を読んで、ぜひ行きたいと思ったのだけれど、この日は都合がつかない。誰か、いった人レポートしてほしいなあ…。
ちなみに、テーマの「トランス・ポリティクスの可能性」とは、”ポリティクス”を”トランス”することの可能性を求めるのではなく、”トランスジェンダー”にかかわる/をめぐる”ポリティクス”のあらたな地平を模索する、というあたりかと。
Yu-u「研究会案内」『群青』Blog版
(http://d.hatena.ne.jp/Yu-u/20080118/1200508847)
なんとなく「トランス」を接頭語に使うと今っぽく聞こえる状況が続いているように思う。不安定な自己、とか、二重性に引き裂かれる「私」とか。それはそれで、私は好きな議論だけれど、どうしても「流行にのった」感が否めない。*1
多くの人(特に女性)は、成長過程でジェンダー違和に直面している。そのときに、「自分が別の性別だったらなあ」と考えたりする。だから、「ジェンダー違和がある」と表明するトランス当事者に、自分を重ね合わせるのは、そんなに難しいことではないだろう。しかし、それらの人はたいてい、性別を選びなおすことはない。
「人間はみんなトランスジェンダーです」と言うことの戦略性はわかるけれど、明らかに私はトランスジェンダーではないわけで。やっぱり、それはわきまえないとまずいだろう。でも、トランスジェンダーのポリティクスについて考えたいと思っているので、このへんのところの話はぜひ聞きたかった。
要するに、「当事者じゃない人が、トランスジェンダーにかかわること」についての議論もあるのではないかと、勝手に期待しているということです。本当に行けなくて残念……。
*1:べつにのってもいいんだけど。私も全然のるし。