松尾スズキ「クワイエットルームにようこそ」

 閉鎖病棟に、クワイエットときたので、「これは、沈黙させられてきた精神病者の話に違いない」と思ったのだけれど、大きな誤解でした。男*1が描きそうな「病んでる(っぽい)女の子たちの世界」の話。リアリティがまったくなくて、つまらなくて沈没しそうだった。(以下、ネタバレ)

 どのへんがリアリティがないかというと、たとえば、ラストシーン。主人公は離婚して、家も職も失って、天涯孤独で生きていくことになるのだけれど、山の上の病院からタクシーに乗って帰る。なんで?そのタクシー代はどうしたの?慰謝料を即金でもらったのか??という疑問が。あそこは、やっぱり寒空の中、停留所で延々バスを待つ、が正しいと思う。
 逆に、工藤官九朗の演じるダメ男は妙にリアリティがあった。私がこの映画でいちばん面白かったのは、大麻のエピソード。特に「俺のガンジャとサツが一番接近した瞬間だったね」という台詞は笑った。それだけに、終盤で、この男が、主人公の「うっとうしさ」に、愛想をつかすというシーンに説得力はなかった。こんなダメな男なら、かえって別れるなんて選択はしないのではないか、と思った。こういう男は、一緒に大麻でも吸おうよ、とか言いそうな気がする。
 恋人は、男と主人公のエピソードを逆にすればよかったと残念がっていた。前半で、男が自分に愛想をつかし、泣きながら別れようと宣告したと思い込んでいた主人公が、後半で、実は単に男は大麻が警察にばれて捕まっているだけだと知る。そして、「犯罪者の妻として生きていくのか」という選択を迫られ、それまでの抽象的な自分の罪悪感と、具体的な恋人の罪の間で逡巡する、みたいな話。私も、そんな話だったらみたいよ!
 私が考えたのは、主人公と仲良くなる患者を、中村優子ではなく、桃井かおりにする。そして、大竹しのぶVS桃井かおりの勢力争いの話にしてはどうだろうか。ちなみに、私は中村優子は、絶対に悪役だと思っていた。影の大ボスで、主人公を陥れるに違いないと。この人は、いつ裏切るのだろうか、と思っていたが、最後までいい人で拍子抜け。
 しかし、松尾さんって、ただのオタクなんだなあ。庵野さんといい、松尾さんといい、年取ったオタクって、痛々しさを失って、単なるオヤジに近づいていくのね。松尾さんは、内田有紀みたいなかわいい女の子に、「私はうっとうしい(私は間違ってます!)」と自己否定させた上で、「でも、社会に適応します。頑張ります!(おじさんたちが正しいです!)」って言わせたかっただけじゃないの?
 …それか、閉鎖病棟は小劇場演劇の比喩だったのか?アイドルだった内田有紀が落ち目になって、小劇場演劇に流れ込むとチヤホヤされて、歌だの踊りだのおどってそのうちに馴染むのだけれど、やっぱりお金かせいで生きていくにはメジャーな芸能界に戻るしかない、さらば小劇場、みたいな映画?だったら、いい皮肉だと思う。内田有紀は、小劇場のしがらみを全部捨てて、芸能界に帰りなさい、っていう餞別の映画。

*1:そして、その像を内面化した女の子