ドキュメンタリー出演者のその後の証言
偶然見つけた記事です。少女時代にネットフリックスのドキュメンタリー作品に出演していた女性が、大人になってそのことの影響の深さについて語っています。女性の父親は、妻(彼女の母親)を殺した事件の加害者として有罪判決を受けました。作品は大ヒットし、彼女の家族は視聴者に広く知られることになりました。そのプロセスで、彼女はPTSDを負いました。
彼女はいま、ドキュメンタリーに関わる仕事をしており、今回は「Subject」という新しいドキュメンタリー作品に出演しています。ドキュメンタリーに出演した人のギルドが必要だと彼女は訴えています。
'My Family’s Story Is Proof That Documentaries Need Ethical Standards
https://time.com/6330932/ethical-standards-documentary-films-overhaul/
'The Staircase ruined Margie’s life. Now she’s taking it back'
近況
パレスチナ・ガザ地区の虐殺のニュースが日々、ネットでも流れてきて、どうしようもない気持ちになりますが、長年、パレスチナの人々と繋がりながら物品販売を続けてきた「パレスチナオリーブ」で、6本入りのオリーブオイルを買ったりしました。このたび、団体がテレビで取り上げられたそうです。
ものすごく厳しい状況ですが、それでも共に暮らすことを目指して、現地の生産者さんたちがオリーブオイルの製作や刺繍作りに取り組んでいる様子が放送されました。11月18日には、アラブパレスチナとユダヤ系イスラエルのボランティアの人々が500人集まって、オリーブの収穫をしたそうです。オリーブオイルは以下のサイトから通販が可能です。
前のブログ以降、バタバタしていてまた更新が途絶えていました。8月にクリタ水・環境科学研究賞をいただきました。東京のホテルで受賞講演やパーティーがあって、理系の研究者の中にポツンと人文研究者がいるという、ちょっとした異世界体験でした*1。まだ以下のサイトには載ってないのですが、そのうち更新されると思います。
青土社の『ユリイカ』の金原ひとみ特集に「死を与えるものを待ち望む 金原ひとみ『軽薄』のカナの欲望」を寄稿しました。デリダの『死を与える』を引用しながら、小説作品を論じています。
今年は国際学会やシンポジウムでいろいろ発表しました。
それから、伊勢志摩や水俣で企画をやったりしました。その報告集は来年度、『環境と対話』第三号として発行予定です。ほかにも、原稿はいろいろ書いていて、来年はいくつかの雑誌に載ると思います。
今は、来年出る予定の本の原稿を書いています。恐ろしいことに、もう広告が出てしまったので落とすわけにはいきません。頑張ります。
叢書クロニック(ライフサイエンス出版)
年末だからか、はてな村の内輪のインターネット昔話が盛り上がっています。いつも同じメンツのような気がしますが、私も毎回読んでしまってます。もう、商業出版社がウェブ連載を持ちかけてくる時代で、アマチュアが勝手に書き散らしてブログがバズる時代でもないですね。
ただ、過去を懐かしむことができる人は、当時もけっこう人生が上手く行っていた人では?私は2000年代後半は金もないし、大学院進学できるか不安で、ブログ書くくらいしか自分を表現できる場はなくて……とか思い出すだけでゲロ吐きそうな記憶しかないので、全然、あの頃が良かったとは思えません。そんなものでしょう。
そして、宝石みたいな文章が無造作に転がってるのは、今のインターネットは同じだと思います。今年、一番良かったのはこれ。地方には文化がなくて東京が一番いい、という主張に対するアンチテーゼとして出てきた増田の小文です。
これ書いたのは間違いなく、前に出水について書いていた増田でしょう。出水は水俣の南側にある鹿児島県の街。このあたりでは一番栄えています。私も温泉やスーパーに連れて行ってもらったことがあります。増田が、石牟礼道子を読んでるかどうかはわからないけど、「このカニは水俣(のあたり)のカニだ!」と思ったので、すぐに気づきました。
カニだけで、そこの地域がどんなところか読者に悟らせる増田は、本当にすごいと思ったし、こういう逸材がしれっと匿名で書いてるのがインターネットなんだと思います。こんなふうに気取らずに自然の特徴を描き出す文章を書きたいと、私は日々思っているので、ちょっと羨ましかったです。「これが文化だし、自己表現だよねえ」と思いました。
返答:宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」
私の宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」のModern Timesで書いた評*1に、Twitterで言及していただいているようなので、短く返答しておく。最近、Twitterの不具合が多いので、本文をコピーして掲載する。
概ね納得のいく批評だが2点。まず吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」は本作の原作ではない。原案ですらなく、クレジットもされていない。あくまでタイトルの借用であり、主人公の行動を規定するきっかけとしてのみ使われる。この点を誤読すると本作の意図をつかみ損ねる。https://twitter.com/gigir/status/1681261628082507779?s=20
また小松原氏は「眞人は大叔父の仕事に関心がない」と整理しているが、これもまた誤読であろう。大叔父の仕事には敬意を払いつつも、自分にはそれを継ぐ資格がないこと、おそらくはその仕事は誰も継げないことを観念して断った、と読むほうが妥当ではなかろうか。https://twitter.com/gigir/status/1681262399683440641?s=20
眞人少年は「君たちはどう生きるか」を読んだことを契機に、世界を俯瞰的に見ようと苦心している。それは異世界での数々の出来事への対応もそうだし、アオサギを最終的に友達だと認めることもそれに連なっている。そこにはまさに「生き方」への提案がある。
https://twitter.com/gigir/status/1681263062538686465?s=20
自らの欲望と向き合い、他者の中にある生の欲望にも真摯に向き合う。それが人と人が関係を結ぶということだという提案がこの映画にはあります。その他者を眼差す視点の妥当性には批判の余地はあるかとは思いますが、まず構造としてそうなっていることは見落とすと議論が明後日の方向に行くと思います。
第一に、映画について「読む/誤読する」とはあまり言わないと思う。「理解する/誤解する」もしくは「解釈する/不適切な解釈である」が妥当な表現だろう。
第二に、宮崎がこの作品を製作するにあたって、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を念頭に置いていたことは間違いない。それは、吉野の孫にあたる吉野太一郎を試写会に招いていることからも明らかである。タイトルを借用しただけとは言えない。原作/原案等のクレジットが入っていないのは指摘の通りだが、宮崎が吉野の「君たちをどう生きるか」を底本にしたと言うのはそうおかしい解釈ではない。(だいたい、タイトルだけ借りて、中身は関係がありませんと言うのは創作者に対して失礼な話だ)
第三に、なぜ、私の「マヒトは大叔父の仕事に関心がない」というのが誤読(ママ)とされたのかは不明である。もし、言及者が「マヒトは大叔父の仕事に関心がある」と解釈するならば、その場面を指摘し、正当性を主張するのがよいと思う。
若者は、年寄りの仕事に興味がない。それを成し遂げた価値もわからない。だからこそ、若者は過去を捨てて未来へ向かっていける。それは、私が中年になったから思うことである。もう私はマヒトの側にはいない。大叔父のようにがれきのなかで朽ちていった老人たちの骨を発掘するのが今の仕事だ。だから、この場面はよくわかった。私も昔、こんなふうに、真っ白な石を差し出して「これで理想の世界をお前が組み立ててくれ」という老人の願いをむげにしたのだろう。それが若者の傲慢さであり、希望なのだと思う。
近況その2
書き忘れたんですが、『現代思想』の誌上での森岡正博さんとの対談が、本に収録されて出版されました。端正で美しい装丁の本です。私の対談部分は再録なので書き足しはないのですが、森岡さんはいくつかのコラムを書き下ろしされています。
こちらの本に、伊藤亜紗さんが毎日新聞で書評を書いてくださっています。
記事の後半で、私のことも(たぶん)好意的に取り上げてくださってありがたいです。ただ、緊迫してお互いが沈黙するような議論のイメージを持たれてるんですが、実態はちょっと違いました。私も森岡さんもおしゃべりなので、相手が話してる間にうずうずしちゃうので、切れ目なくお互いに「はい、私のターン来た!」みたいな勢いでしゃべる対談でした。それをいい感じにまとめてくださったのは、『現代思想』の編集者さんの力量です。ありがたいです。
ほかにも拙著に言及されている記事があったので、記録代わりにリンクします。一つ目は、劇作家・演出家の池田亮さんへのインタビュー記事です。「ゆうめい」という劇団に書き下ろした『ハートランド』という作品の執筆中に拙著を読んでくださったそうです。
執筆の折に何度も読み返した本があって、キャストの高野ゆらこさんに教えていただいた、小松原織香さんの『当事者は嘘をつく』という本にものすごく衝撃を受けて…。読後1週間は引きずってしまったのですが、結果的に3周くらい読み込みました。自分が当事者としての言葉を持ちつつも、やはり演出されたものを演劇として作り上げてしまっている、という部分にもすごくリンクしましたし、同時に、誰かの被害に対して「私とあなたは同じですね」というようなことを簡単には言えなくなったんです。これまでの創作やその中でどことなく感じていた違和感に気付かされるような心持ちになって…。今作はもちろん、自分の創作を改めて見つめ直す契機になった、特別な一冊でした。
私が気づいた時には公演が終わってしまったんですが、観たかったです。
もう一つは、高橋征義さんへのインタビューです。コンピューター関係の話が続いて、「何で私の本がここに?」と思ったら、読んでくださってご紹介くださっていました。ブログも見てくださっていたそうです、ありがとうございます。
最近読んで面白かった本、えーっとですね。ちょっと出すのをためらうんですが、小松原織香さんっていう、基本的にはフェミニズムや哲学をやってる人なんですけど、『当事者は嘘をつく』っていう本を去年出されてて、あれがめちゃめちゃ面白かった。だけど、あんまり人には勧めないっていう感じの本ですね。
「勧めないんだ!」と思って、笑ってしまいました。文藝に書いた論考も読んでくださっていて、ありがたいです。私も新井素子が好きだから、それも関連あるのかな、と思いながら記事を拝見しました。「いろんな方の目に触れているんだな」といまさら思います。
Twitterでも、今でも読んでくださっている方がありがたいです。基本的には反応しないんですが、たまにめちゃくちゃ面白いコメントがあります。今まで一番好きなのは、「図書館でこの本を借りたんだけど、今日までが返却期限で、もう読めないかと思ったけど、ラーメン屋の行列に30分並んでいる間に読みました。面白かった!」みたいなツイートです。みんないろんなところで、いろんな読み方してますね。なんにせよ、ありがたいです*1。
*1:「ありがたいです」の連呼なんですけど、本人はもうその気持ちでいっぱいになるので……。本を出して予想以上に反響をいただいて恐縮です。
近況
半年くらい更新していなかったので、本人も何があったのかほとんど覚えていません。一月は東京で仕事して、二月は水俣に一ヶ月いて、三月は伊勢や天草に行き、東京で仕事して、四月も一ヶ月水俣にいました。五月後半から六月前半はオランダ・ベルギーにいて、帰ってから東京で仕事して、天草・博多に行ってから今は水俣にいます。ブログを書く気力もないくらい疲れてたんですが、自業自得だな、と思います。でも楽しかったし、今はやれるだけのことをやろうと思っています。
書いたもの
世界で三回の連載をしていました。神戸・福島・水俣に触れつつ、過去の記憶を将来世代に伝えることについて書いたエッセイです。時流を全く読まず、好きに書かせてもらったのですが、編集さんが気に入ってくださって本当に嬉しかったです。これからもコツコツと誠実に書いていきたいと思います。
英語ですが、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」を論じた論文が、共著の本に掲載されました。Palgraveから出たグリーン犯罪学の論文集の中の一本です。漫画やアニメに馴染みのない人たちも含めて、広い国際的な読者に伝わるよう悪戦苦闘して書きました。アニメや漫画は、文字を読むのが苦手な人たちにも、楽しんでもらえるメディアで、環境問題について考える際にもぜひ活用してほしいと思っています。特に漫画版ナウシカのような作品は、単純な「環境を守りましょう」というメッセージだけではなく、自然や生命に対する見方を掘り下げて伝えています。そこをなんとか言語化しようと試みています。要領が悪くて、なかなか書けない私に付き合ってくれたエディターにも、感謝しています。今回は本当に出てよかった!
今後の予定ですが、京都新聞の「現代のことば」欄を担当することになりました。2ヶ月に一回くらいは登場する予定です。一応、来年は本が出る予定ですが、そちらはまだなにも決まっていません。がんばります。
話したこと
5月25-26日にユトレヒトで開催された国際学会Green Crimes and Ecojustice Conference 2023で報告をしました。これは欧州で初めてのグリーン犯罪学のようです。集まった人も共通の言語・認識がないので、あちこちで微妙な空気が流れ、ぎこちない場面も多かったですが、そこがよかったです。もちろん、主流は欧州の環境活動家ではありますが、バルカン半島やアフリカの研究者からかれらに異議申し立てがあったり、実証研究とアートの研究ですれ違いがあったりしました。今後、グリーン犯罪学がどんなふうに展開していくのかわかりませんが、私も末席で楽しく好きなことを話したいなあと思っています。
今回は私は「The communicating pollution memory through collaboration between artists and activists: in the case of the pollution 'Minamata Disease' in Japan」と題して、水俣でやっている紙芝居製作の活動を取り上げました。結婚を機に水俣に来て、夫や義理の父母、自分が水俣病になりながらも、必死に働いて子どもを育て、元気に生きた女性のライフストーリーを描いた紙芝居です。熊本日日新聞でも取り上げられました。
次の世代に、水俣の地域の歴史をどうやって伝えているのかを模索している様子を学会では報告しました。でも、なかなか伝わらなかったのが正直なところです。この日参加していた環境活動家は、最先端の情報を追いながら、すぐに行動に移したいと考えている人が多く、「これは何の役に立つのか」と遠回しに聞かれました。ふだん、一緒にやっている修復的正義研究の仲間にその件を話すと「こういうアート・アプローチの研究は、まだまだ模索段階だね」という議論になりました。私だけでなく、みんな悪戦苦闘しているようです。
7月1-2日は、Asian Philosophical Textで学会報告しました。こちらは小規模ですし、報告や質疑の時間が長く取れるので、深く議論できる場です。今回は、「A theoretical framework for ‘untold memories’ of disasters: In the case of Minamata disease, Japan」と題し、「語られない記憶」について議論しました。活動家の小泉初恵さんにも来てもらって一緒に報告をしました。学会は、研究者だけが集まることが多いのですが、近年、犯罪学会では活動家や当事者とともに登壇するスタイルも増えてきています。私も、環境問題は研究者だけではなく、活動家の声も反映しながら議論するほうが良いと思っているので、お願いしてお招きしました。今後も、活動家やアーティストとともに議論するスタイルは取り入れていきたいと思っています。
7月11日に、「本のあるところajiro」さんでトークイベントをしました。(本当は宣伝がてらやる前に情報あげればよかったんですが、申し訳ない)本屋さんとカフェが一体になったような素敵な空間でお話ししました。思ったより立ち入った話をして、盛り上がったように思います。今回はオンライン配信はしなかったんですが、正直なところ、そのほうが話は濃密になります。やっぱり対面の力かな、と思います。*1
9月はEurocrimで学会報告をします。今年はイタリアのフィレンツェで開催予定です。有名観光地であるのは、ミーハー心で嬉しいのと、宿泊代が跳ね上がるので凹むのと、両方あります。
Web公開
Modern Timesさんで連載をしています。なかなか紹介できていないのですが、リンクだけでも貼っておきます。
上の三回は環境問題だったので筆が軽かったです。やっぱり、慣れてる題材だと多少の自信もあるし、書きやすいですね。
この回は、「データの活用」がテーマだったので研究調査について書いています。私は社会学者ではないので、あまり調査法に詳しくないので、ヒイヒイ言いながら、なんとか書きました。院生さんたちは参考にしてはいけません。これはPD以降のフリースタイルの研究者の自己流調査法です。
こちらでも紹介しているThe Network of Asian Environmental Philosophyの活動についても書きました。アジアと欧州では自然観が違うのでそれを打ち出したいと思いつつ、いざやろうとすると議論は簡単ではなく、試行錯誤している様子を書いています。
昨日も紹介した、宮崎駿の「君たちはどう生きるか」の記事もここの連載の一環です。すぐに出してもらうようお願いして、公開してもらっています。この作品のことで頭がいっぱいで、まだいろいろ書きたいし、議論できればいいなと思っています。北米でも公開が決まったようですが、この作品は世界ではどう評価されるんでしょうね。
*1:そのぶん、来場者の方のコスト・時間がかかってしまうのでオンランの良さはよくわかっていますが!
宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」
公開初日の初回で観てきました。そうしてよかったです。ネタバレを踏まずに、真っ白な状態で観るのがベストな作品だと思います。しかも劇場で、ひとりで観るのが最高でした。
何を言っても蛇足とネタバレになってしまう作品なんですが、速報的に評を書いたので以下に掲載してもらっています。(全文が無料で読めます)
情報が出ないということは事実確認ができません。登場人物の名前すら不安なんで、評を書く側には地獄でした。でも、本来の映画評ってそういうものなんでしょう。ジブリの作品群を追っていると、宣伝戦略が最も花開いたのは「もののけ姫」だとすぐわかります。空前絶後の大ヒット作になりました。当時、中学生だった私は友人たちと映画館に初日の公開に行って立ち見で観ましたが、「全部どこかでみた映像だ」と思ってガッカリしたことを覚えています。今になって再視聴すると、素晴らしい作品だったわけですが。
宣伝の成功が作品を殺すこともあります。今回の宣伝皆無の札を切った鈴木プロデューサーの賭けが、吉と出るか凶と出るか、見守りたいです。
以下ネタバレあり
続きを読むNAEPオンラインシンポジウム (2023) 参加者募集のお知らせ
今年も私(Orika Komatsubara)が共同コーディネーターをつとめるアジア環境哲学ネットワーク(NAEP)がオンラインの国際シンポジウムを開催することになりました。2023年11月2日-3日です。テーマは「アジアにおける動物・植物の概念」です。現在、個別報告の参加者、パネルセッションやワークショップの提案を募集しています。参加は無料です。
環境哲学は、私たち人間と環境の関わり方を探求します。環境もしくは自然は、動植物も含めて、種々の要素を包含しています。アジアでは、多様な世界観、伝統、哲学、民衆の思想が、異なる分類、概念化、語りを通して、動物や植物にアプローチしています。このシンポジウムは、アジアにおけるこのような多様な視点を交換し、持続可能な解決(sustanable slutions)を目指す対話を促すことを目的としています。
シンポジウムでは、研究者、実践者(活動家)、関係者から以下のようなアジアの世界観についての報告を募集します。(こちらは例であり、「アジアの動物・植物」に関するほかのトピックも可能です)
アジアにおける動物・植物の概念化
動物や植物についてのナラティブ、物語、芸術表現、地域の知や実践
地域や先住民のコミュニティの伝統的な生態系に関する知
動物や植物についての身体化された知
動物や植物に関する持続可能な社会文化的実践
生物文化的(biocultural)なネットワークや遺産の形式
エコフェミニズム
私たちは特に初期キャリアまたは中堅の研究者の応募を応援しています。
英語が第一言語になりますが、私たちはゆっくりとしたやさしい英語を使うことで、ノンネイティブフレンドリーの国際シンポジウムを志しています。また、英語以外の言語での発表を強く希望される方はご相談ください。複数の参加者が、特定言語での発表を希望する場合は、特別なセッションを組むことも検討しています。
興味のある方は、以下の公式のウェブサイト(英語)をご覧ください。