貴戸理恵「「生きづらさ」を聴く」

 

 社会学者の貴戸理恵さんから、新著をご恵投いただいた。タイトルになっている「生きづらさ」という言葉は、ネットでも何度も議論を呼んでいる。ひとを嘲笑する表現として「あのひとは生きづらそうだ」というネットミームもあるようだ。また、社会構造から生まれる問題を、個人の主観的な「つらさ」という感情に還元する言葉であると批判されることもある。長く「生きづらさ」の問題に向き合ってきた貴戸さんは、その批判を受け止めながらも、実際に苦しむ人々に「あなたの問題はあなたのせいではなく、社会の問題なのだ」と(上から目線で)突き詰めればいいのか、と問い返す*1。貴戸さんは次のように述べる。

 個々の人びとがが抱く「独自の人生を切り抜け、歩んできた」という実感は、「他でもない自分の人生」という圧倒的なリアリティのもとで、「社会のせいにしたくない」という誇りや、「数字などの平板な記述によって解釈されうるものではない」という足元の複雑性の手放しがたさを帰結する。こうした社会構造的要因の指摘においそれとは説得されない人びとの素朴な感覚は、「自分の人生を定義するのは自分だ」という主体的な意識を下地としている。その下地に働きかけることなしに、本人の認識を変えようとする営みは、「上から目線」の「啓発」「教育」にならざるをえないだろう。

 社会構造的要因に目を配りながら、当事者による状況定義から出発することが必要だ。そのとき、人びとの足元に転がっている「生きづらさ」という言葉は一つの足がかりになると考えられる。(39頁)

 このように貴戸さんは、「あなたが苦しんでいるのは社会が悪いのです」と教えるのではなく、その人たち自身の言葉に耳を傾け、「生きづらさ」をキーワードにして、現代社会で何が起き、どのように生き延びる術と困難があったのかを明らかにしようとする。ここでいう「生きづらさ」は、10の構成要素「無業および失業」「不安定就労」「社会的排除」「貧困」「格差・不平等」「差別」「トラウマ的な被害体験」「心身のままなさらなさ」「対人関係上の困難」「実存的な苦しみ」に分節化される。ある人が「生きづらさ」を語ろうとするときの、その人のなかにあるいくつかの要素が同時に、まじりあって現出してくることがある。これらの要素は、現代社会の支援制度では、医療・福祉・労働などの各部門により個別に対応されている。「生きづらさ」をキーワードに語ることは、個人の体験を外側から分析するのではなく、本人が内側から吟味し、整理し、理解していくことになり得る。

 このような「生きづらさ」について語る場とし設定されたのが、「生きづらさからの当事者研究会(づら研)」である。この本では、づら研のメンバーの語りをもとに、かれらの体験がまとめられている。メンバーは子ども時代の貧困や虐待経験がある人もいれば、経済的には恵まれながらも教育虐待や不登校の経験を持つ人もいる。かれらの「生きづらさ」は全く異なり、「づら件」で集まるときに、必ずしも共感できるわけではないし、壁もある。しかし、対話のなかで、それぞれのメンバーが経験や考えの違いを理解し、ほかの視点を得ていくような過程がづら件では生まれている。たしかに「生きづらさ」は社会問題を、個人の苦しみへと転化し、自分のことで頭がいっぱいで身動きさせなくするところがある。他方、それをほかの人びとと語るなかで、希望が見えてくることもある。貴戸さんはこのように書く。

「生きづらさ」は、それを抱えている人自身が問題に取り組み、個人的な事情の向こうに構造の問題を見通していく契機にもなりうるのだ。「生きづらさ」という言葉を通じて自己の特徴や傾向を理解することで「自分の人生を生きる」うえでのある種の「落ち着き」のようなものを得ていくことがある。「落ち着き」とは、諦めや絶望ではなく、「過去は消すことはできず、この人生の延長を生きるしかない」と腹をくくることであり、あがきや落ち込みも含めて、一筋縄ではいかない自己を受け入れていく態度である。そのように自己の「生きづらさ」を理解することで、他者の「生きづらさ」に想像をめぐらせることができるようになり、その向こうに共通の構造を見通すことにも開かれていく。(288頁)

 ここには逆説的な状況がある。一度、社会構造から離れ、個人の「生きづらさ」に焦点を当てて語り、他者と対話するなかで、社会構造が見えてくるのである。つまり、社会と個人が「生きづらさ」をキーワードにした他者との対話によって、接続されるのである。

 貴戸さんは、このような異なる人びとによる対話のなかで浮かび上がる共同性は、これからの社会運動の駆動力になることを示唆している。かつてのマイノリティ運動は、差別と闘うために同じ属性を持つものが集まり、共同性を構築した。しかしながら運動体は内部の多様性を肯定するため、同じ属性を持っていてもお互いの階級・ジェンダー・民族等による異なりを認めようとし、ときにはそれが分裂を招いていもいく。「づら研」はそうではない、共通の属性を持たないものたちが共同性を構築するための模索の場でもあった。貴戸さんが、そのなかで鍵を握ると考えたのは「違和を表明できる場や関係性を生み出し続けるプロセスのなかに、新たな連帯を見出す(298頁)」実践であったと考える。すなわち、「同じであるからつながれる」のではなく「つながれなさを通じたつながり」である。

これを象徴するエピソードがある。かつてある参加者が「自分はここにいていいのかな、と思ってしまうことがある」とづら研での居心地の悪さを漏らした。さまざまな参加者の経験を聴いていると「無業ではない自分には、暴力被害を経験していない自分には、ここにいる資格はないのではないか」と思えてしまう、というのである。この発言に対して、「自分もそう思う」とその場の多くの参加者が共感を表した。「自分は「私たち」に含まれていない」というつながれなさの感覚は、まさにそれについて共感し合うことを通じて、つながりへの感覚へと接続されていったのだ。(298-299頁)

 ここにも逆説がある。「自分にここにいていいのかな」という自己否定的な問いかけする者に対して、「あなたはここにいていいのだ」と相手を承認する言葉ではなく、「私もそう感じる」という自己否定的な声が応じることで、共同体の包摂性を高める。誰かが安心させようとする気遣いではなく、みんなが不安であることを共有することが、その場の安心感を培っていく。

 貴戸さんの本を読みながら、私はいろんなことを思い出していた。私のいろんなことの出発点は、性暴力被害者の自助グループがある。そこはまさに「同じ属性を持つものの共同体」で、それだけに内部は濃密で分裂もあった。その限界をいやというほど思い知った。私はその後、別のやり方を求めて、いくつかの属性を問わない読書会や研究会*2を転々とした。自分自身も、2018年に「環境と対話」研究会を立ち上げ、地元で細々と対話の場を設けようと試みてきた。だから、「づら研」で生起している共同性はとてもよく理解できる。異なる人びとの対話には希望がある。

 それと同時に、私は「その前」があったこと、つまり「同じ属性を持つものの共同体」の経験を持つ(人が複数いた)からこそ、「異なる人びとの共同体」を志向できたのだろうとも思うところがある。私たちはすでに、「同じであること」を求めて何度も失敗して痛い目に遭っていた。だから、人びとの異なりに耐え、対話をすることができた。最初から、異なる人びとと出会っていたら、果たして自分はそんなふうに振る舞えたのかわからない。

 私は、「同じ属性を持つものの共同体」と「異なる人びとの共同体」は「あれか、これか」の二択ではないのだろうと思う。前者のあとに後者を経験すべきという、発展段階論的なものでもなく。本当は個人が前者も後者も、必要とするときに参加する場があれば理想的だと思う。同時に、自分がこうした「場」を大事にしてきたからこそ、このような共同体の脆さも痛感している。「場」と「制度」の違いはそこにある。あるとき、きらきらしていたように見えた場も、ちょっとしたことで壊れたり消えたりする。それを維持しようとすると、場の力は失われる。とても抽象的な話になってしまったが、「場の運営」に関わってきた人には伝わるのではないかと思う。

 ところで、本の要点とは全く関係ないが、私が衝撃を受けたのはある「づら研」のメンバーの語りである。

小さい頃は子どもの「醸す」身体性がすごく苦手だった。幼稚園くらいに周囲の園児たちのむんむんした空気が怖かった。(115頁)

 これは、私の幼少期の感覚と全く同じだ。これまで、こんなふうに言語化されているのを見たことがなかったので、読んだときには叫びそうになった。「まさにそれ」であった。子どもなのに、子どもが近づいてくると「やめてくれ」という気持ちになった*3。子ども時代の私は(脳の問題として)感覚過敏だったのだろうと思う。色も匂いも音も、耐えるべきものだった。ちくちくしたセーターが嫌で、硬い布の服が嫌いだった。できれば、ずっと本を読んで家にいたかった(が、そんなことは家庭では許されなかったので、できるだけ人の少なそうな場所でじっと時間がすぎるのを待っていた)。空想世界に逃げて、現実をシャットダウンしようと試みた。この人の語りは、現在も感覚過敏が続いていることへ移るが、私はどんどん感覚は衰えていった。なので、自分は今はかなり鈍感になり、ぼんやり生きていると思っているが、元々がいろんな刺激を脳が拾いすぎるタイプだったのだと思う。ちなみに空想癖だけは治らなかったが、オタクだったので友人の大半も似たようもので、それは気にすることなく大人になった。

*1:これはマルクス主義者による社会運動が長年やってきたことだ。水俣でも同様のことは起きており、肝心の水俣病患者からは全く支持を得なかったことが記録されている。

*2:そのなかには、貴戸さんとやっていた「づら研」とは違う研究会もあった。急にそのときのことを思い出して懐かしくなったりした。

*3:私が子どもを産まなかった理由のひとつでもあると思う。もう大人なので子どもは可愛いと思うし、近づいてきても嫌ではない。そして、一部の子どもは「自分に関心を持たない大人」である私を無害だと判断して近づいてこようとする。私はぎこちなく交流するのだけれど、それが楽しいわけでもなく、多くの大人が子どもに対して覚える興奮感のようななものが、私にはわからない。

栗田隆子「呻きから始まる 祈りと行動に関する24の手紙」

 

 友人の栗田隆子さんが、新著を出版された。栗田さんは、1980年代後半、日本がいわゆるバブル景気に湧く時代に青春期を迎えた。学校制度に違和感を持ち、社会への関心を寄せるなかで、高校に入学するとどうしても学校に行けない「不登校」の状態に陥る。自分でもコントロール不可能な「不登校」という状況と格闘するなかで、キリスト教の信仰に入っていく。神の声を聞くという体験に救いを得ながら、栗田さんは再び社会を問い、運動のなかに飛び込んでいく。そのなかで、疲弊しうつになりながら、再び神に出逢い直す。この本は、月刊誌『福音と世界』の連載がもとになっており、キリスト者としての栗田さんの考えが綴られるとともに、1980年後半から現代に至るまで続く労働や貧困、差別の社会問題が語られ、両者が重なりながら語られていく。キリスト者だけではなく、なにかをよすがに生きてきた人たちに響く本だと思う。

社会運動と暴力

 沖縄の反基地運動が話題になっています。座り込み(シットイン)の定義が議論になっていましたが、ものすごくよくある運動戦術なので、規模や場所や時間の長さなどがバラバラなのは当たり前だろうと思います。ところで、反基地運動であれ、どんな運動においても暴力行為はゆるされない、という声が上がっています。

yoppymodel.hatenablog.com

 それでは、過去の社会運動における暴力事件を振り返ってみましょう。水俣病運動では、自主交渉派によるチッソ東京本社での1年8ヶ月にわたる座り込みの運動(1971-1973)がありました。かれらの目的はチッソの社長と対話することです。結局、正面からの対話は受け入れられなかったので、自主交渉派は突入部隊を組織して*1社長室を占拠し、膝詰めで社長と話し合いました。その様子は映像で記録されています。その後、自主交渉派は補償協定を結ぶ立役者となります。

 この座り込みの運動のなかで、リーダーだった水俣病患者・川本輝夫さんは傷害容疑をかけられ、任意出頭を求められ、家宅捜索を受けました。川本さんが、チッソの従業員に暴力をふるったとされたのです。その経緯は米本浩二水俣病闘争史』で概説されています(太字は引用者)。

 川本輝夫への警察の強制捜査が始まったのは一〇月二五日である。警視庁丸の内署は同日、川本に「傷害容疑がある」と二九日に任意出頭を求めた。三一日早朝、出頭した川本を私服刑事数人が車で連行。警視庁の極左暴力取締本部で取り調べを受けた。同日、告発する会の東京・荻窪の宿舎と、水俣の川本の自宅が家宅捜索を受けた。

 宿舎の石牟礼道子は捜索の一部始終を目撃した。〈ここに至ってなおただの一度たりとも公権力の手によっては、犯人チッソの取り調べはおろか、被害民の実態調査はいうにおよばず、救済策などなにひとつ自ら立てたことのない国家が、川本輝夫水俣の自宅まで!〉(『天の魚』)。

 川本は七二年一二月に障害の罪で起訴され、東京地裁は七五年一月、罰金五万円、執行猶予一年の有罪判決を出した。東京高裁は七七年六月、地裁判決を破棄し、「水俣病の被害という比較を絶する背景事実があり、自主交渉という長い時間と空間のさなかに発生した片々たる一こまの傷害行為を被告人らが自主交渉に至らざるえを得なかった経緯と切り離して取り出し、それに法的評価を加えるのは、事の本質を見誤るおそれがある」と起訴したこと自体検察官の公訴権濫用だと断じた。最高裁は八〇年一二月、検察の上告を棄却し、高裁判決が確定した。(155-156)

 重要なのは、引用部にあるように、裁判において、川本さんの「暴力をふるった」という一つの行為を、水俣病の被害を受けて苦難にある患者たちの境遇と切り離して判断することが、不当であると判断されたことです。公害加害企業チッソ水俣病患者の間にある、継続的・構造的な被害加害関係の中で、川本さんの暴力行為が起きたことを勘案すべきであるというのです。

 上の判決に即して言えば、沖縄の反基地運動で活動家による暴力事件についても、米軍と基地周辺住民の間にある、継続的・構造的な被害加害関係のなかで起きたことであることを勘案すべきでしょう。ここでいう、継続的・構造的な被害加害関係については、多くの研究者が明らかにしてきたので割愛します。もちろん、長い戦前・戦後の沖縄の歴史と結びついた問題です。社会運動の個々の暴力事件だけを取り上げて、その善悪を問うことは困難です。

 他方、こうした長い説明はTwitterを中心としたSNSでは注目されにくいため、もっとキャッチーで議論に参加しやすい切り口の方が注目を集めます。もちろん。この件をきっかけに米軍基地の問題に関心を持つ人もいるかもしれませんが、多くの人は目についたことだけを発言し、すぐに忘れてしまいます。これは、現在のインターネットの一番大きな問題です。私自身、上のような水俣の事件をすぐに想起して記事を書けるのは、2015年からずっと水俣の問題を追っているからです。それでも、水俣についてなにかわかったとは思えず、少しずつ理解の努力をしています。こうしたコツコツとした調査の作業なしに、社会運動の問題には向き合えませんが、インターネットと相性は悪いです。

 

*1:指揮官の松浦豊敏はインパール帰りの元兵士でした。

近況

 環境破壊事例における修復的正義についてのハンドブックが、Palgrave社から出版されました。英語でも初めての環境修復的正義の論文集となっています。ご関心ある方は、お手にとっていただければ幸いです。なんとこの本の表紙の写真には、私も写っています。(オカッパの後ろ姿が私)なんと、表紙デビューしてしまいました……この写真は、アートを通した修復的正義の活動のもので、本書のChapter 16でBurnilda Pali他の「The Art of Repair: Bridging Artistic and Restorative Responses to Environmental Harm and Ecocide 」が事例として取り上げています。

 もちろん、論文集には私も寄稿しています。タイトルは「Exploring Environmental Restorative Philosophy for Victims: The Pollution and Life-World in Minamata, Japan」で、環境破壊の被害者が修復的正義に向かっていくための内発的な思想を、水俣地域を事例にして描き出しています。具体的に取り上げたのは、水俣における石牟礼道子、不知火会総合学術調査団、緒方正人、本願の会の活動です。ディスカッションでは、水俣から見えてくる修復的正義の哲学は「個人の内省ではなく相互交流の中で生まれてきた思想であること」と「非言語的な表現を含むこと」を論じています。

 私が水俣で哲学の研究をしようと思ったきっかけは、2016年に川本輝夫さんが「水俣には哲学が必要だ」とおっしゃっていたと知ったことなのですが、それから6年近く経ち、やっと1本目の「水俣の哲学」の論文を書けたという気持ちがあります。今後も哲学アプローチでの水俣研究を積み重ねていきたいと思っています。

 さて、「当事者は嘘をつく」についてのブログ記事を書いていただいています。

manaasami.hatenablog.com

執筆されているid:manaasami さんとは、昔、ウェブ上の掲示板で交流がありました。あさみさんは、「いつか愛せる DV・共依存からの回復」の著者でもあります。残念ながらこの本は絶版だそうですが、ブログ記事では続編にあたるDV・共依存についての手記を書いておられます。どれも読み応えのある記事ですので、ご関心のある方にはおすすめです。

 私の本は届くところには届いたので、本当にありがたいなあと思っています。本を出版後、マスメディアからの取材もありましたが、取材者には「話がわかりにくい」と言われたり、サクセスストーリーを語ることを求められたりすることもありました。何度も書いた通り、私の本は「お話」にすぎず、私の実際の人生はもっと複雑で一つの線にはならないぐちゃぐちゃしたものです。私はそういう生をそのまま受け止めたいと思っています。それができないのがマスメディアなのだとすれば、私は相容れないなあと心底思った数ヶ月でもありました。

 私の日々はコツコツと資料を読んで、コツコツと文字を埋めていくだけの地味なものですし、書くことが好きで今の仕事をしているので、これが続けられたらいいな、と思っています。

近況

 そろそろ、夏の休暇も終わって大学に同僚たちが戻ってきました。私はまだ、9月末に学会報告の予定があるのでバタバタしています。少しずつ、在外研究の終わりが近づいており、航空チケットも取りました。1月初めには帰国予定です。

 最後のあがきのように、あちこちの学会に行っています。先週はルーマニアブカレストであった日本学会に聴講者として参加してきました。小規模でしたたが、どの報告もとても面白かったですし、知り合いもいないのにふらっと伺った私を歓迎してくださって、とても嬉しかったです。

ucdcjstudiesconf.wordpress.com

 「まだ帰りたくない」と思う一方で、帰国したらもっと日本の哲学・文化に焦点を当てて、環境問題を中心に研究を続けていきたいという気持ちになっています。もう一回、自分自身とルーツを結び直すための勉強をしたいな、とも思っています。この年になって、やっとそんなことを考えるようになりました。

 そんな夢想はともかく、現実的には科研費や公募の書類の作成に追われています。来年はどうなるのかさっぱりわかりません。

 最近書いたものとしては、平野啓一郎『死刑について』(岩波書店、2022年)の書評があります。共同通信から配信され、全国で順々に掲載されたようです。

 

 オンラインメディア・Modern Timesでは、宮崎駿のアニメーション作品を読み解く連載を続けています。先日、ジェンダーのシリーズの第2回、第3回が公開されました。

www.moderntimes.tv

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近況

 久しぶりの更新になります。6月まで論文を書いたり、学会報告をしたりで忙しかったのもあるのですが、なぜか自分のブログだけアクセスできない状況になりました、奇妙な状態が続いているので、運営に問い合わせしているところです。本人は元気でやっています。

 「現代思想」7月号の巻頭に、森岡正博さんと対談をした記事が出ています。学部制のころに夢中になって図書館で読んで、コピーをとりまくっていた雑誌に、よもや自分が出るとは……ということで、さすがに手元に届いた時には浮かれました。

 対談では、私は好き放題にあっちこっちに飛びまくりながら話しています。対談の課題図書として、私から石原吉郎の『望郷の海』を提案していたのですが、肝心の私自身が前日に読んだ細見和之石原吉郎』に大きく揺さぶられたので、それに引っ張られながら喋っています。私は研究者としては、当然、法制度や社会運動の面から、犯罪や暴力の被害ー加害関係について検討してきたことが多いのですが、もともとの私個人の持っている関心は文学的な罪と赦しが中心であるので、せっかくの現代思想の対談ですし、そういう話題が中心になっています。対談の最後では、実存的にひとりの人間として被害や加害に向き合うことと、研究者として学問に取り組むことが繋がるのか、繋がらないのか、というような議論になりました。

 実際に雑誌を手に取って読むと、私と森岡さんの対談だけ、昔の「現代思想」みたいですね。私は「遅れてきたニューアカ」なところがあるので……

 『当事者は嘘をつく』の書評もいくつか拝見しています。文学ムック『ことばと』に掲載された、書評家の江南亜美子「更新される、『私小説』」で拙著を取り上げていただきました。私のエッセイを「私小説」として読むという試みがなされています。

 この点については、佐々木敦×樋口恭介×大滝瓶太 「小説が私の言葉になるとき」という対談イベントでも取り上げていただきました。たしかに、私はフィクションの物語のように自分の人生に起きたことを書いたわけで、私小説といえばそうなのです。ただ、私はあんまり文章が文学的ではないという劣等感は常に抱いているので*1、文章を褒められたのはとても嬉しかったです。あと、樋口さんが何度もすごく良いと言ってくださっていたので、こちらも素朴に嬉しかったです。

 考えてみれば、私は学部生の頃は、ハイナー・ミュラーハムレットマシーン」の上演プロジェクトに関わっていました。「ハムレットマシーン」(1977)は難解な詩のような戯曲で、「I was Hamlet (僕はハムレットだった)」というセリフから始まり、もはや単一の主体を維持できない物語の主人公モノローグが続きます。ポストモダンの時代には、「私」という存在をひとまとまりの自我としてはもはや語れないのだ、みたいなことを若い時に演劇関係の人たちと議論していたので、その延長線上に私のエッセイもあるのかもしれない、と後付けですが思いました。

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 オンラインメディア・Modern Timesでの連載は、宮崎駿をテーマに続いています。トピック1の「戦争」の第3回目では、「風立ちぬ」を取り上げて論じています。

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 トピック2は「ジェンダー」で、宮崎駿の「ロリコン」の側面とその作品について書いています。こちらも連続3回で、この次には「魔女の宅急便」を取り上げる予定です。

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 研究は、投稿した英語論文の修正などに追われていました。一本は、ゲラが出ましたので近日中に、Palgrave社から出版される共著論文集に掲載される予定です。あと二本は修正原稿をエディターに送ったので返事待ちです。3年間で5本の英語論文を投稿したので、頑張ったほうではないでしょうか。さすがにもう力尽きそうなので、あと半年ほどはインプットに努めたいと思っています。最近は、アートや集団記憶の問題に関心を寄せています。

 国際学会では、European forum for restorative justiceの環境修復的正義のワーキンググループで、共同パネルに参加しました。最初は、英語のオンライン・ミーティングに出席しても、もう座ってるだけで気を失いそうに緊張していましたが、今はすっかり慣れました。まだ英語力に不足はあるものの、中間報告レポートの取りまとめ役を買って出たりして、積極的に参加しています。単純な話ですが、自分にできることが増えていくのは楽しいです。

 また、国際被害者学会では、個人報告として、『当事者は嘘をつく』の出版経験を通して、研究者と当事者のダブルアイデンティティを持つことについて話しました。学術的にはまだ研究するには至っていませんが、同じ立場の人がこっそりカムアウトしてくれたり、「本を買いたい」と言ってくれたり、とても嬉しい反応が多かったです。「英訳を出さないのか」と聞かれることも度々あり、国内だけではなく海外にも響く普遍性のあるテーマなんだなあと感慨深かったです。

 対面学会は、とても楽しかったのですが、案の定、COVID19に感染しました。おそらく、いま、日本でも流行っているBA.5株でしょう。同じ学会に参加した友人たちが一網打尽でした。幸い、ワクチンも3回接種していますし、高熱は出たものの軽症ですんで回復し、今のところ顕著な後遺症はありません。もうベルギーでは、感染しても報告などは必要なく、自宅でパラセタモールを飲んで休むことになっています。マスクも必要ありませんし、手をこまめに消毒する人も減りました。感染は拡大し続けるはずです。そういうわけで、こちらの学会に参加される方も増えていますが、くれぐれもご注意ください。私は9月末にはスペイン・マラガで開催されるヨーロッパ犯罪学会に参加予定です。

*1:たとえば、論文で石牟礼道子の一節を引用した後に、自分の解釈を書き加えている時ほど「ああ、私の文章はゆるいなあ」と思うことはありません。

アジア環境哲学ネットワーク・オンラインシンポジウムのお知らせ

 2022年6月17日・18日に、アジア環境哲学ネットワークの第一回のオンラインシンポジウムが開催されます。第一言語は英語です。無料ですが事前に登録が必要です。

 インドから日本まで十数カ国から20名以上の多様な報告者が登壇します。ワークショップでは、「アジアにおける自然とはなにか」と「アジアにおけるナショナリズムと環境哲学」、今後のプロジェクトの展望について議論します。分科会は「哲学的伝統」「政策」「先住民の知恵」「映画」「文学」でそれぞれの報告者がプレゼンテーションを行います。

 ご関心をお持ちのかたは、以下のリンク先からご登録ください。詳しいプログラムも掲載されています。

asiaenviphilo.com

 英語版は以下です。

asiaenviphilo.com