仲正昌樹『統一教会と私』

 あるオンライン署名活動*1をきっかけに、統一教会が話題になっている。 私は、統一教会はカルトであり、入会を希望しない限りは決して近づかないほうがいい団体だと考えている。ただし、悪魔化するものよくないと思い、たしか仲正昌樹氏が自分の入信体験を本にしていたと記憶していたので、検索して見つけた。タイトルもストレートな『統一教会と私』である。

 この本は、以前、出版された『Nの肖像』を増補・新装で出版社を変えて出したらしい。

 大変面白い本だったが、なんとも言えない。まず、この本で仲正さんは統一教会の教義やシステム、勧誘、信者の活動について明確に説明している。教義については、従来のキリスト教との聖書の解釈の違いがわかりやすく述べられる。さすが、社会思想の専門家である。また、淡々と自分の体験した勧誘や活動について描き出しており、潜入調査をもとにしたルポルタージュのようだ。しかし、肝心の信者としてのこころ模様はどう受け取っていいのか迷う。

 仲正さんは1981年に東大に入学してすぐ、原理研究会に勧誘され、統一教会の信者となる。それから11年半にわたって信者生活を続ける。共同の生活のホームで暮らし、物売りをし、合同結婚をしたうえ、世界日報の記者になる。どっぷりと統一教会に浸かって生きてきたが、その精神世界はあまりわからず、周囲とのコミュニケーションがうまくいかない若者の屈折が延々と描かれることになる。

 仲正さんが特につまずいたのは物売りである。私はこの本を読む前は「仲正さんは霊感商法にも加担したのだろうか」と詮索していた。だが、そもそも仲正さんは営業成績が悪すぎて、信仰に関する壺や印鑑は売らせてもらえなかったらしい。新人の信者は最初は「珍味売り」からスタートする。何キロもの珍味を担いで、訪問販売をして売り上げを逐一、上司に報告する。神に感謝して売るように言われるが、仲正さんは一向に売り上げが伸びない。業を煮やした上司から「もう帰ってくるな!」と言われると、「じゃあ、もう帰りません」と反抗的な態度をとってしまい、左遷されてしまう。仲正さんは落ちこぼれの信者で、ホームの部屋に閉じこもってでうつうつとしていた。

 仲正さんは、突破口を探してドイツへ留学を試みたり、大学院進学へ挑戦したりするが、全くうまくいかず、どこに行っても人とぶつかってしまう。世界日報の記者になり、やっと才覚を発揮するかと思いきや、上司と喧嘩になってしまう。そして、世界日報の賃金が下がるとやる気がなくなり、転職を目指して一念発起して大学院でドイツ思想を研究し始める。

 仲正さんは、信者としての評価が高くないため、なかなか「祝福(合同結婚のこと)」を受けられなかった。ついに日本の信者の女性と合同結婚が決まったが、容姿や態度が気に入らず、乗りきれない。(仲正さんは女性の容姿がたいそう気になるらしく、女性を描写する場合、必ず美人かどうかの評価を匂わせる*2)ついに合同結婚式に出席して、教祖に会えたというのに、お話の最中に居眠りして、ほかの信者に悪口を言われてしまう。

 時流もあり、仲正さんは脱会を決めてしまう。合同結婚は、女性から子どもをもうけるのが難しいと打ち明けられて、隠していたことに憤って、破棄する。仲正さんは、それまでの信仰生活を振り返り、「合同結婚がうまくいっていればもっと違った人生だったのではないか」などと考えたりする。そして、引き止められるがきっぱり断って、連絡を遮断してやめてしまった。

 仲正さんは、本の終章でこんなふうに書いている。

 統一教会にいたことを、私個人としては、それほど後悔していない。しかし、入信したことにより親に心配をかけたのは事実だし、私が伝道したのがきっかけで入信した人もいるので、反省しなければならない部分があるのかもしれない。

 一一年半にわたる宗教体験は、ある意味では、ごく普通の人間になるための訓練期間であったとも思える。繰りかえしになるが、人見知りの口べたで、人とコミュニケーションを取るのが苦痛だった私の性格は、統一教会にいたことにより、すこしは改善された。いまは、平気な顔をして、大学で授業ができるくらいにはなっているのだから。

 これはなんとも言えない記述である。統一教会の活動を正当化しているとも取れる。しかしながら、一冊読んで思ったことは、統一教会の人も仲正さんとの付き合いには苦労し、対応に苦慮したのではないかということだった。仲正さんの脱会時も引き止めはあったようだが、しつこくはなく、すんなりと辞められたようにも見える。だが、これはもしかすると上司も仲正さんがこれ以上、統一教会でやっていくことは難しいと思っていたのではないかと、読者としては推察してしまう。ちなみに、仲正さんが勧誘できた信者は一人だけで、その信者の方がはるかに早く出世して、合同結婚もうまくいったらしい。

 たしかに、仲正さんの場合は、統一教会に入っていなければ、もっと楽しい生活があったかというと、それはこの本を読む限り、想像できなかった。かといって、この本を読んで統一教会に入りたい人はあまりいないと思う。第一、仲正さんがどのあたりで統一教会に救われたのかもよくわからなかった。あえて言うと、居場所を見つけられたことだろうか。でもその居場所も、茨の道であったし、ずっと仲正さんは落ちこぼれでふてくされて、辛い気持ちで生活していた。突然、最後の方で死の恐怖を抱えていたという話も出てくるが、その恐怖を統一教会の信仰生活が救ってくれたという話もほとんどない。感動するポイントはひとつもなかった。

 つまり、こんなに詳しく赤裸々に統一教会について語り、その話はほぼ正確らしい*3のに、全く統一教会の魅力も恐怖も伝わらない本なのである。法事で親戚のおじさんの昔話を聞いているようだった。たぶん、これは「そういうもの」なのではなく、仲正さんの個性なのだと思う。

 そもそも、仲正さんはものすごく勉強ができる人なのだと思う。公立高校から、その気になれば塾にもいかずに東大に行くことができ、短期留学で英語を話すコツを掴み、ドイツ語に至っては英語に似ているという理由であっというまに習得して、ネイティブと哲学的議論にまで踏み込むようになる。私が何年かけてもさっぱり英語ができず、何度も挫折してきたのとは大違いすぎて、「そこは悩まないんだなあ」とちょっと羨ましくなってしまった。でも、私は頑張れば珍味は売れるかもしれず、人はそれぞれ違うからな、と自分を納得させた*4

 一つ心に残ったのは、物売りで落ちこぼれ、統一教会でも居心地が悪くなった仲正さんの心が、唯一晴々としたのが「左翼との闘い」だったことである。1980年代の学生運動はほとんど形骸化し、内ゲバを繰り返していたと言われている。その左翼学生たちと時には暴力沙汰になりながら闘うことときにだけ元気になり、ストレス発散になったのだと言う。

 この部分を読んだ時に、私は在特会と反在特会の衝突を思い出してしまった。最近では、一部のフェミニスト表現規制反対派の中で起きる激しい言葉のやり取りもそうだ。もちろん、相手を激しく批判する必要があることもある。だが、そこに暴力に魅入られる契機があることに注意は必要だと思う。

 さて、もっと、常人がカルトについて理解できる本もある。以下の本はカルトの魅力と恐怖、入信した人のこころ模様がリアリティを持って描かれている。

 瓜生さんも、大学に進学してすぐに親鸞会に入会する。そこから、親鸞会の組織にどっぷりと浸かっていく。カルトによる救済と、内部の矛盾、自責、さらに脱会後の苦悩などが詳しく語られている。また、「脱会支援」をしている人たちの言葉で、脱会者が傷つく問題についても、丁寧に書かれている。カルトの危険性を指摘することは大事だけれど、カルトに救いを求めていく人たちの心情を理解することも必要だろうと思う。

*1:発端の騒動は、署名活動の賛同団体のひとつが統一教会の関連団体だったことである。それも、その指摘があってすぐに削除された。署名活動によって個人情報を集め、それをもとに勧誘活動を行うのは昔ながらの手法である。もちろん、署名のための個人情報を勧誘活動に使うのは違法だが、一部の活動団体や宗教団体は、自分たちの勧誘は正しいものであるという確信があるため、社会のルールを守らないことがある。(もしくは特異な解釈をしてルールを守らないことを正当化する)そのため、特定団体が参加していることを伏せるような署名活動は危険であるし、私なら避ける

*2:女性に縁がなく、恋愛の経験もないというような話もあったが、たいていの女性は自分の容姿をジャッジされるのに敏感だし、そういう人は親密な関係を築く相手としては、敬遠する。仲正さんが「美人かどうか」で相手をジャッジしてるのが、ばれてるのもあるんだろうな、と私は思った。

*3:Amazonのレビューでも信者らしき人が、真実が書いてあると認め、声をあげて笑える本として褒めていた。

*4:研究者になるのは仲正さんの方がアドバンテージがある。そこは本当に羨ましい。私は仲正さんは十分にアベルだと思う。でも私は、他人が羨ましくても「野原に行こう」とは言わないし、うじうじ一人で野原にいたら誰かが慰めてくれる人生なので、それはそれで良さがある。

ミラノ日本人学校の中学生と水俣

 ミラノ日本人学校の中学生の、オンライン報告会があったので、許可をいただき視聴するチャンスに恵まれました。ミラノはコロナ渦で厳しい状況におかれた街です。中学生たちも帰国やオンライン授業など、大変な思いをしながら今日まで生活してきたそうです。そのなかで、日本の水俣病について継続して学んできて、今日のプレゼンテーションで英語で発表してくれました。

www.mngitalia.net

 中学生たちは、水俣病の概要はもちろんですが、映画「Minamata」、水俣病患者の緒方正実さんや活動家の吉永利夫さんの活動、石牟礼道子の作品、イタリアのVenetoで起きた水質汚染との比較などについて、自分なりの視点から考えを述べました。どれもとても素晴らしくて、研究者の研究課題になるような難しい問題について、「中学生の立場だからできること」をベースに意見を考えていました。とても真摯に水俣病の問題に向き合ってきたことが伝わる、本当に良い報告でした。

 水俣病を学ぶことは、「公害」というひとつの出来事を取り巻く、地域の歴史、人々の暮らし、当事者の怒りや悲しみに直面しながら、自分たちの責任を問うことだと私は思っています。それをひとつずつ積み上げるような貴重な学びの過程が、かれらの報告を通して見えてきて、感動しました。

 そして、私はこれまでVenetoの水質汚染については詳しく知らなかったのですが、ゲストのニコロ・フィリッピ氏(ヴェネチア・カ・フォスカリ大学)*1の報告で初めて全体像を理解しました。Venetoでは、2013年の調査によって、Mineto社の化学工場の汚水によって飲料水が汚染されていたことがわかります。広範囲の地域の人々が健康被害を受けました。すぐに対応がとられましたが、この問題の影響もあり、Mineto社は2018年に倒産します。この汚染の概要は以下の水道技術研究センターの報告書の事例7に出ています。

「世界の水道事故」2020

http://www.jwrc-net.or.jp/chousa-kenkyuu/comparison/abroad08.pdf

 

 フィリピ氏は、2013年以降の被害は認知されたものの、最初に汚染の問題が起きたのは、1977年であり、その被害は取り上げられていないことを指摘しました。これは、1969年の裁判まで問題が放置されていた水俣病と重なる問題です。現在、Mineto社は倒産してありませんが、フィリピ氏はMineto社に出資していた現存の企業にも責任があることを述べました。

 私は、フィリピ氏が紹介した、Mineto社に出資していた企業に三菱が含まれるので、少し調べてみたのですが、1996年から2003年まで社長を務めていたのが駒村純一であることがわかりました。駒村氏は三菱商社の社員でしたが、1981年にミラノに駐在した際に、Mineto社を買収したようです。その後、2003年に三菱商社を退職し、森下仁丹株式会社に入り、ご本人の言葉で言うと「老舗企業の伝統にあぐらをかいていた会社の体質を改善し、業績をV字回復させ」たそうです。

cakes.mu

 2003年前後といえば、ロスジェネ世代と呼ばれる私たちが、過重労働や非正規雇用で苦しんだ時代です。その時代の「成功者」が、イタリアの公害加害企業の社長であったというのは、なかなかの衝撃がありました。水俣病の場合は、加害企業のチッソは戦前の植民地時代の朝鮮半島で工場を設立し、そこで朝鮮人労働者を過酷な労働で使役し、その経験をもとに戦後の水俣の労働者も抑圧し、地域の人々の生命や健康よりも経済利益を優先するような経営を行なったとも言われています。そんなことを思い出してしまう一件でした。

*1:ニコさんとは、私は水俣で会ったことがあります。その頃、ニコさんは水俣で患者さんたちの生活のフィールドワークをしていました。その経験をもとに、今はVenetoで起きた水質汚染の研究をしておられるようです。

オンライン対談「グリーフケアと修復的正義」に登壇します

 2021年10月8日に、宗教学者島薗進氏との対談の企画がオンラインで開催されます。テーマは「グリーフケアと修復的正義」です。水俣や修復的正義について、研究内容はもちろん、今回は個人的な経験や考えてきたこともお話ししようと思っています。対談後は交流会があり、ざっくばらんに皆さんとお話しする場になりそうです。有料*1で、以下から事前申し込みが必要です。

https://peatix.com/event/2734811

 企画の告知文を書き、一部は上のリンク先に引用されているのですが、せっかくなので全文を貼り付けておきいます。

 毎日、インターネットでは凄惨な犯罪のニュースや、有名人のいじめや差別発言の告発が取り沙汰されています。TwitterFacebookでは多くの人の怒りの声が渦巻きます。被害者の心情に寄り添い、加害者を許さない姿勢をとるのは、道徳的に正しいことに見えます。
 でも、「これって、やりすぎでは……?」と思うことはないですか。
 私は2010年から「修復的正義」を研究してきました。修復的正義とは、被害者と加害者の対話を中心にした紛争解決のアプローチです。それを話すと、こんな質問をよくもらいます。
「それって、学校で先生がいじめの加害者に『謝りなさい』と命令して、口だけの『ごめんなさい』を言わせて、被害者がゆるさないといけないという、アレですか……?」
 いいえ、そんなふうに被害者が和解や赦しを強要されるのは、修復的正義ではありません。
 修復的正義で、一番大事なのは「対話に向けた準備」の期間です。ファシリテーターは、被害者と加害者、それぞれに分けて十分に「なにがあったのか」「なにを感じているのか」「なにを相手に伝えたいのか」を聞く時間をとります。そして、両者が「会いたい」と思い、ファシリテーターが「対話は可能だ」と判断したとき、初めて対話が始まります。
 修復的正義では「自発性」と「安全」が大事にされています。参加者が自分から望んで、「大丈夫だ」と思えたときだけ対話をします。もし、途中でやめてしまって、対話に至らなくても修復的正義は失敗ではありません。お互いの状況や、いま必要なことがわかった上で、「今は対話はやめておきましょう」という結論を出すのも、被害者と加害者には意味のあることだからです。たとえ、対話したあとに、両者がもう二度と会わなくなったとしても、それはひとつの答えとして、修復的正義は歓迎します。
 ショッキングな出来事が起きた時、多くの人は「Why me? (なぜ、私だったの?)」という問いに取り憑かれます。その問いを被害者は加害者にぶつけたいと考えることもあります。でも、加害者もまた、「なぜ、こんなことが起きたのか?」「自分はなぜ、こんなことをしてしまったのか?」がわからない混乱に陥ることもあるのです。
 「なぜ?」という疑問が渦巻く場で、修復的正義は荒れた海の灯台のように輝くことがあります。灯台は、嵐を鎮めることはできませんが、遭難しそうになっている人々に「あそこにいけば、陸地がある」という希望を与えることができます。
 修復的正義は、いま社会に起きていることを全て解決できる魔法の道具ではありません。でも、混乱した状況で「こう考えてみたらどうだろう」と、別の角度からものごとを見るヒントにはなります。
 私は性暴力や水俣病の問題を、修復的正義の視点から研究してきました。今回は、みなさんと修復的正義のレンズを通して見える、「別の風景」を共有したいと考えています。

*1:大学ではなく民間のイベントですので、なかなかのお値段ですが、後日、お手頃価格での公開も視野には入っているそうなので、もしそれが実現すれば再度、お知らせします。

近況

 今年のベルギーは、直近の200年で一番雨が多いとも言われるという悪天候続きでした。何度も水害が多発し、夏なのに雨が多く、太陽が恋しい夏でした。そうはいうものの、ベルギー国内の各都市を訪問して、楽しい時間を過ごしました。

 ベルギーはワクチン接種が順調に進んだこともあり、すっかりバカンスムードでした。イタリアやギリシャに遊びに行った人も多かったようです。カフェやレストランもオープンし、街のあちこちで賑やかな歓声が沸いていました。まだまだ、先のことはわからないですが、私もしばらく開放的な気分にひたれたのはよかったです。(日本の現状を聞くと、つらい気持ちにはなりますが……)

 こちらの友人と、ベルギー西部のイーペルにあるフランダース・フィールズ博物館を訪問し、第一次世界大戦についての展示を観覧しました。イーペルは、世界で初めて毒ガス兵器が使用された土地です。多くの兵士たちが亡くなったり、失明したりしました。展示は5年前にリニューアルされ、個人の記憶に焦点を当て、プロの俳優が兵士や周辺地域の住民の手記を読み上げ、証言を伝える動画がいくつも流されていました。

 私は数年前から、ヨーロッパで第一次世界大戦についての博物館や史跡をめぐっています。第一次世界大戦は、100年が経過し、体験者はみな亡くなっています。「当事者」がいなくなったあと、かれらの声をどうやって伝えるべきかのかを学びたいと思っています。

 私は、戦争、犯罪、公害などの被害・加害関係に焦点を当てて研究をしていますが、「時間」というのはとても重要な要素です。深いトラウマを残すような記憶は、時が経てば忘れるものではありません。それと同時に、記憶は個人のなかで形を変えていきます。単純に「和解」や「赦し」に至るわけではありません。個人の中で、「その時の記憶」に加えて、「覚えているとはどういうことか」「忘れていくとはどういうことか」の哲学的な観想が醸成されていくことも少なくないのです。人は生きていくなかで変わっていきます。それに寄り添いながら、どうやって記憶の伝承を続けていくのか。そのことが、今の私の大きな研究テーマでもあります。

 そんなふうに考えていると、アフガニスタンで大きな政変がありました。私は大学院の修士課程では中東についての研究者が多いコースにいたのもあり、9.11以降の20年後の出来事に打ちのめされました。私自身は、2001年の時点で、アフガニスタン空爆には反対の立場でした。当時は議論や活動をする仲間もおらず、一人でチョムスキーの映画を観に行ったりしました。大学院では、当時の政権とタリバンとの対話の試みについても学びました。アフガニスタンで活動されていた中村哲さんの講演を聞きにいき、感銘を受けたこともあります。私は決して、アフガニスタンの問題に真剣に取り組んできたとは言えないのですが、いくつもの出来事の記憶が重なり、ただ苦しい気持ちになりました。これから、タリバン政権の造っていく国が、アフガニスタンに住む人々にとってより良いものであることを祈ります。

 同時に、いま、ヨーロッパにいることに対して、苦しい気持ちにもなります。声高に「女性の権利」や「難民支援」が叫ばれていますが、NATO空爆により、アフガニスタンの街は破壊され、人々の貧困は深刻なものになりました。私自身は、ヨーロッパの滞在で、自由や民主主義、福祉や教育を享受しています。でも、それは私が、日本国籍をもち、この価値観に追随しているから与えられた環境です。ゲーティッドコミュニティのように、線引きされた特権的な社会にいるにすぎません。私はタリバンが素晴らしいと言うつもりはありませんが、空爆から始まった破壊と暴力の20年間を、すべてタリバンの責任に帰することはできないと考えています。何十にも積み重なったアフガニスタンの苦難の歴史と、そこを生き抜いてきた人々の知恵に敬意を払いたいと思っています。

 なんにせよ、私はいつも、一つの感情や論理で、なにごとかを見ることはできないですし、断片的に考えていることを、いずれ統合していきたいです。

 秋以降は、英語論文を2本、書くつもりです。今年も科研費に応募する予定です。二度連続で落ちているので、今度は通したいと思っています。私は学振PDも何度も落ちて、ラストチャンスでようやく採用されました。最終的に通れば、それまで落ちたことはノーカンですから、気にせずどんどん出すことにしています。初めて、学振DCに応募して落ちた時にはショックを受けましたが、そのときに先輩に「落ちることに慣れますから」と言われたことを思い出します。就職にせよ、科研費にせよ、民間予算にせよ、落選通知を貰い続ける人生ですが、めげずに出していこうと思っています。

「行政機能」と「地方自治」と「個人の権利」

 インターネットではときどき、地域の「町内会」が話題になる。日本は現在、少子高齢化が進んでいるので、町内会の役員の担い手も減り、若者は参加に消極的になりつつある。また、高齢者が町内会を占有しているという批判もある。次のツイートのまとめは興味深かった。

togetter.com

 今後、町内会は滅んでいくだろうという発言に対し、自治に頼らず行政がもっとサービスを強化するべきだという意見もあれば、地域の細かな問題は行政だけではフォローしきれないので、町内会をアップデートし、強化して存続させるべきだという意見もあった。

 実は、日本のこうした草の根自治機能は、海外の研究者からは注目を集めているところがある。たとえば、東日本大震災で東北の各地域では消防団が救援にあたった。その後、消防団員の負ったトラウマの問題を考えると簡単に美化はできいないが、地方で防災の役割を自治組織が大きく担っていることは否めない。こうした自治組織は、日本の国外から見ると非常に魅力的に映ることがある。いまや、日本は経済成長の面からは困難に直面しており、国際的な地位が揺らぎつつあるが、古くからありいまや捨て去られそうな、こうした自治組織にこそ古草的な価値が見出されるかもしれない。

 たとえば、私はいま、ベルギーのルーヴェンという中堅都市に住んでいる。ここで私が感じることは、強力な行政のガバナンスである。まず、ビザをとって入国すると、住民登録をしなければならない。これは、コロナ渦ということもあって、メールで書類を送り、インターネットでアポイントメントを取り、指定時間に役所に行くだけなので、ほとんど待ち時間はない。住民登録が終わると、ナショナルナンバーが付与され、全ての住民に電子読み取りのついたカードが渡される。健康保険、銀行、携帯電話など多くの契約にはこのカードが必要になる。逆にいうと、パスポートもビザもサインも普段はほとんど使わない。ワクチン接種も、住民登録に基づいてレターが来て年齢順に順番に接種会場に呼ばれた。2回の接種が終わると、自宅で住民カードを読み取り機にセットすると、10分ほどでスマホのアプリに連携してワクチンパスポートが取得できた。できる限り、行政が効率化と合理化をはかり、一元的なサービスの提供を目指している*1。私からすると、日本の行政よりずっとシンプルで快適なサービスを提供していると感じる。

 他方、いま、ルーヴェンでは「修復的都市(restorative city)」の構想が持ち上がっている。私の同僚たちも参加しているプロジェクトである。修復的都市が主に目指すのは、「行政サービスの連携」と「コミュニティ内の市民連帯の活性化」である。

leuvenrestorativecity.be

 プロジェクトでは、行政サービスが充実しているのに対して、住民の自治機能が弱っていることが問題化される。すなわち、むしろ自治機能を回復することで、行政頼りではないコミュニティ作りが目指されるのである。こうしたプロジェクトに関わる人たちの一部は、日本の自治組織に強い興味を抱いている。私も日本の自治組織の実態の調査の相談や、具体的な質問を受けることがある。

 確かに、日本の自治組織は上手く機能すればとても有用である。たとえば、私の住んでいた京都のある地域の町内会は、あまり活動は活発ではないが暮らしの中では重要になっていたようだ。今の町内会長はこれまで民生委員も務めてきた女性で、住民たちへの目配りや小さなトラブルへの介入が上手だ。私も、なにかあるときには町内会長に相談すれば、うまい具合にほかの住民との調整をしてくれる。町内会があることで、住民同士の個人的な付き合いにそこまで労力をかけなくても、会長と連絡を取ることでコミュニティ内で平和に暮らせるのである。住民同士のトラブルが起きると、警察や行政サービスがすぐに介入してくるヨーロッパの多くの社会よりは穏健に平穏な生活が守られていると言えるだろう。

 ただし、これはあくまでも上手く機能した場合である。第一に、町内会長の人徳や性格に自治組織の動向は大きく左右される。また、個人への負担も大きくなる。これまで、町内会長は名誉職の部分もあったが、今後、次の世代にどうやって引き継ぐのかという課題がある。

 第二に、自治組織はコミュニティの力を強めるが、逆に個人の権利を抑圧することもありえる。たとえば、私の住んでいた地域の町内会では、近所の神社が氏神様になっているため「氏子代」を徴収される。そして、お札が配られる。私は特定の信仰も持たないし、金額も500円程度だったので、深く考えずに払っていた。しかしながら、これは宗教が自治組織と一体化しているということであり、信仰の自由の問題に関わってくる。私の所属していた町内会では、おそらく氏子代を払わなくても大きなトラブルにはならないと思われるが、自治組織が行政サービスと違って政教分離の境目がはっきりしないところは重要な問題である。地元のお祭りにも同じような問題は起きるだろう。こうした宗教の問題を筆頭に、自治組織がコミュニティ内の個人の自由を制約する可能性がある。特にこの2点目の問題については、同僚の研究者に疑問を投げかけてみたところ「非常に重要」として今後も議論を継続することになった。

 以上のような問題を含むため、日本の自治組織は美化したり、称揚したりすることはできないが、実は国外からも注目を集める面白い組織である。私はこうした地域ガバナンスは専門的ではないが、修復的都市のプロジェクトが、修復的正義の観点から構想されていることもあり、今後もこちらにいる間に考えていきたいと思っている。

*1:そのわりに、住民登録には3ヶ月もかかるし、手続きのたびに役所に「まだ書類きてないんですけど」と急かさなければならないので、実務上は微妙な話である。でも理念としては合理化が明確に据えられている。

課金で劣等感を解決した話

 勝間和代さんが、コンプレックス商法について記事を書いている。これは、人々の英会話や身体的特徴の劣等感につけこみ、高額を支払わせるセミナーを批判したものである。勝間さんは記事の中にある動画で、もっと安く1000円くらいから利用できるサービスを何度も何年も使うことで、劣等感を克服することができると主張する。勝間さんの話の面白さは、実際に30万円を支払うことで、短期間で劣等感を払拭できる人が5パーセントくらいは実際にいて、その体験談が真実であるので人々はコンプレックス商法に引きつけられるのだとするところにある。つまり、コンプレックス商法は詐欺ではない。しかし、非常に成功率が低いため、そこに課金するとコスパが悪いと勝間さんは言うのである。

 これは一理あるし、勝間さんの懸念や若い人への忠告はよくわかる。しかしながら、実は私は30万円を払って*1、劣等感を解決してしまったことがある。なんと勝率5パーセントに入ってしまった。せっかくなのでその体験談をメモしておこうと思う。

 私が抱いていた劣等感は、勝間さんが筆頭にあげる英会話に対するものである。なので、高額セミナーに支払った私は情弱扱いされて苦笑いしてしまった。私は、「英語ができない」という自分と10年以上たたかっており、ぼちぼちと勉強を続けてきたが、かんばしくはない。もちろん、自分なりに少しずつ進展はあるのだが、どこまでやっても先は見えない。だいたい、私がいる大学という業界は恐ろしく英語ができる人たちがいる。留学経験者は当たり前で、子どもの頃から英語教育に触れていた人や、帰国子女、ネイティブより英語に詳しい翻訳者など、一般に生活していてあまり出会わない英語レベルに達している人がごろごろいる。そもそも、東大や京大の受験に合格する人たちなので、ものすごく勉強ができる。地方の中堅県立高校で楽しく暮らしていた「そこそこ」の私にはあんまりにも過酷な環境である*2。しかし、卑屈になったところでいいことはないので、「できない、できない」と言いつつ英語の勉強を続け、一人で国際学会に飛び込んで知り合いを作り、英語論文を投稿し、今は海外で研究をしている。私のいいところは、ブツブツ言いつつも、めげないところである。

 それはともかく、私が英会話で劣等感を抱いたのは「発音」である。「発音が下手」だから話すのが恥ずかしかった。不思議なことに、少しずつでも英語が話せるようになればなるほど、恥ずかしくなってしまう。初めて英語を話さねばならなくなったとき、私は恥ずかしいどころではなく、頭が真っ白になり逃げ出したくなりながら、「とにかくここで、言いたいことを伝えなければ」という気持ちでいっぱいだった。向こうの顔もろくに見えてないので、反応がどうこうと考える余裕もなく、「ああ、どうしよう、なんて言うんだっけ、ほら、あれ!」という大混乱で終わった。それが話せるようになってくると、欲が出てくる。文法通り、礼儀正しく、適切な表現で伝えたいと思い始める。同時に、他の人が話すのを聞いていて、わかりやすい発音をしている人を尊敬し、そんなふうに話したいと求めるようになった。なぜなら、私はリスニングも下手なので、できれば相手にわかりやすく発音してほしいと思うし、その逆も必要だと考えたからである。

 誤解しないでほしいのは、ここで私が言っているのは「ネイティブみたいな英語」ではないことだ。私が議論する相手のほとんどはノンネイティブである。そして、私にとって聞き取りやすいのは、ノンネイティブのシンプルな英語である。落ち着いて、明瞭な発音で、ゆっくりでもいいので正確に話せることが目標になっている。

 さて、私の英語はそこから程遠かった。何年も独学でシャドーイングを練習してきたが、録音された自分の英語を聞くと、「これではダメだ」ということはわかるが、何が悪いのかわからない。多くの教本を読み、YouTubeの動画を見て、オンライン英会話の先生に教えを乞うた。しかしながら、「私はなにかができていない」ことだけはわかるが、それがさっぱりわからない。とにかく唾を飛ばすような勢いのある英語か、もぞもぞして聞き取れない英語になってしまう。何回聞いて音を真似しようとしても「わからない」と止まってしまう。それで何年も劣等感を抱きながら英語を勉強してきた。

 そこで出会ったのが、英語のパーソナルトレーニングである。ちなみに、私は紹介料もアフィリエイトももらってないので、これはステマでもダイマでもないので、心配なく体験談として読んでもらって構わない。

englishcompany.jp

 このパーソナルトレーニングでは特別なことはしない。やることは「単語を覚える」ことと「シャドーイング」である。私にとってこのシャドーイングのアドバイスが劇的に自分の発音を変えた。私は初めて英語の「弱形」を理解したのである。それまで私は全ての単語を頑張って等しく発音しようとしていた。しかしながら、英語はリズムで話さなければならないため、音が弱くなったり聞こえなくなったりするところがある。私はそれを意識してシャドーイングの練習をすることで、英語を話すときの感覚が全く変わった。

 ここで、「弱形」と聞いてなにをすればいいのか理解できたり、YouTubeの動画で学習できる人は課金不要である。大変羨ましい。私はいくら概念が理解できても、実際に音を捉えることも、発音を変えることもできなかった。不器用だからである。毎日、シャドーイングを練習して録音してトレーナーに送って、修正してもらうことで、やっと身体的に「弱形」が少しだけ習得できた。自分がなにができていないのかが判明したのである。これは小さいけれど大きな進歩だった。

 ただし、私がそれで満足いく発音を手に入れたかというと、そうではない。相変わらず、私はよく間違えるし、「英語ができない」と思いながら暮らしている。録音した自分の英語を聞くと焦って必死な気持ちだけが伝わってきて、「相変わらず上手くないな」と思う。ただ、前のように絶望感はない。何ができていないのか自分で理解できるので、改善点がわかる。それだけのために高額を支払うことになったが、私の場合はよかった。課題が多いことは、暗中模索に比べればずっとマシだ。課金で劣等感が解決できたと言えるだろう。

 自分の体験から考えると、課金で劣等感を解決するポイントは二つある。一つ目は、自己解決できる問題は潰しておくことである。おそらく英語を勉強し始めたばかりの私であれば、パーソナルトレーニングはあまり有効でなかったと思う。英語の基本は、英単語を覚え、英文法を学び、自力でシャドーイングすることである。私の場合は、ある程度まで自分でそれを底上げした上で、自己解決できない一点に絞ってパーソナルトレーニングに賭けたので上手くいったと思う。

 二つ目は、借金はしないことである。私がパーソナルトレーニングに頼ったのは、学術振興会の特別研究員に採用され、収入を得たからである。身も蓋もないが先立つものがあるかないかで、私の判断は変わった。手持ちの資金がないまま、劣等感の解消を求めて高額セミナーに頼るのは危険だろう。お金がないときにも、勝間さんのいう通り、手頃な価格のたくさんのコンテンツはある。支払いに無理をしないことは大切だと思う。

 最後に、私は勝間さんの動画でピアサポートのサービスを推奨しているのはとても良いと思った。私自身、これまで英語の勉強をやめなかったのは、身近に頑張っている友人が多かったことが大きい。基本は自己解決とピアサポートで、それでも解決しない問題は課金をしてプロの助けを借りるのは一案ではあると思う。

*1:実際はそれ以上なんだけど。

*2:私の出身高校に東大を目指す人はいなかった。でもそれを疑問に思ったこともないし、楽しい高校生活だった。阪神・淡路大震災のあとの被災地のど真ん中にある学校だったのでいろいろと特別な思い出はあるが。

伊丹アイホール存続をめぐる議論

 毎日新聞で、関西の小劇場であるアイホール伊丹市)の用途転換が検討されていることが報道されました。アイホールは、小規模劇団のアート活動に貢献してきただけではなく、一般市民とともに活動するワークショップにも力を入れてきた。こうした幅広い活動は、日本における公共劇場としては突出しており、全国的にも芸術関係者から評価されてきたし、稼働率も高い。他方、検討の理由となっているのは、伊丹市民の利用率が15パーセントと低く、採算が取れていないため、税金で運営資金が補填されていることである。つまり、伊丹市民の税金が、市外の人々の活動へ流れてしまっているということである。これに対して、伊丹市は民間業者からクライミング施設に施設を転用する提案が出たため、検討することになった*1

mainichi.jp

 これは一見、市民中心の施設の用途転換で良い策のように見えるが、慎重に考えなければならない。第一に、現在はクライミングが流行しているので市民の注目を引く転換案に見えるが、長期的にはどうだろうか? 公共施設は、10年後、20年後の伊丹市の未来や、子どもたちへの教育の展望を見据えて運営の良し悪しを考えなければならない。もし、伊丹市が今後、クライミングを市民活動の象徴とし、全国的に評価の高い施設運用とするならば、その案も良いものになるだろう。今後の伊丹市にとて、演劇活動とクライミングのどちらが発展に寄与するのかを正面から議論すれば、どちらの案が採用されても実りがあるものになると思われる。しかしながら、現在出てきている情報は、短期的な資金運用についての議論だけであり、もしクライミングの流行が終わってしまったとすると、その施設にはなんの蓄積も残らない危険がある。そのため、長期的な視野を持って公共空間のあり方を議論する必要がある。

 第二に、すでに全国的に高く評価されているアイホールを潰してしまうことの損失の問題がある。現在、多くの地方自治体は市外・県外からの観光客の誘致に躍起になっている。コロナ渦でそれは途絶しているが、いずれ、自治体内部だけではなく、外部からも魅力的な地域づくりが求められる機運は高まるだろう。そのとき、アイホールの市外利用者の多さは伊丹市にとっても有益になる可能性はある。必ずしも「地元の施設」が「地元に閉じる」必要はないのである。むしろ、ここまで市外者からの利用があることをアドバンテージに変える手を考えることで、伊丹市の長期的な税収増につなげられるかもしれない。そう考えると、現在の問題解決方法は「アイホールの採算性を上げること」であり、用途転換だけが選択肢ではないことがわかる。

 第三に、今回の議論が全国的な公共劇場の運営方針に影響を与える可能性がある。たしかに伊丹市単体で見れば、アイホールの採算性の低さは大きな問題ではあるが、質の高い文化事業を提供してきた点では非常に優れた施設である。文化には金がかかる。そのため、税収が低調になった時に、一番に切り捨てられるのは文化事業になりやすい。そして、残念ながら「文化事業の質」と「収益」は必ずしも比例しない。だからこそ、自治体によって公共の力で文化を支える必要があるが、その根幹がアイホールの用途転換により崩れてしまうかもしれない。

 以上の3点から、アイホールの用途転換には慎重であるべきだと私は考えている。しかしながら、7月後半にニュースが出てから、すでに伊丹市は早ければ9月には報告を出すとしている。これはあまりにも拙速な判断であると思われる。

 この問題については、「アイホールの存続を望む会」が署名活動を始めている。私もすでに署名した。

aisonzoku.com

 他方、署名活動ではおそらくアイホールの用途転換は止められないという指摘も出ている。たとえば、ロームシアター京都管理課の丸山重樹さんは以下のように述べる。

少し前から、リサーチが始まるということは知っていて、どうなるんだろうと思っていたら、署名活動が始まった。
まずは劇場の利用者である演劇関係者から行動を起こす、ということ自体に違和感はないし、行動を起こしてくれた方々には敬意を表したい。しかし、twitterでこの活動が拡散して、タイムラインを埋め尽くせば埋め尽くすほど、不安も生まれてくる。
少なくとも私は、過去数回の選挙で同じような苦い経験をしている。自分や自分のフォロワーの意見とは真逆の結果になる、という経験だ。そしてある時「エコーチェンバー現象」という言葉を知る。そして改めて、SNSの狭さを痛感したのだった。
Facebooktwitterも、基本的にフォロワーは「友だち」であり、似たような考え方を持った人がほとんどだ。わざわざ自分とは真逆の考えを持った人をフォローしている人は少ないだろう。だとすれば、「AI HALLを存続させてほしい」という意見で、タイムラインが埋まることは自明だ。
しかし今回の問題は、特にAI HALLが公共施設であることも踏まえれば、私のような業界関係者以外でかつ伊丹市民がどう思っているのかが大事で、それに該当する人は私のフォロワーにほとんどいないのではないか。だとすれば、このタイムラインの”祭り”に浮かれてはいられないのだ。

(https://www.facebook.com/shigeki.marui33000/posts/4186050161486022 )

 また、京都で演劇活動をするたかま響さんも、以下のように署名だけでは問題は解決しないと述べている。

アイホールの件、存続させる会を設立した方には敬意を評するけど、「署名」だけでは絶対に覆らない。もちろん会の方は署名以外の行動を考えてると思うけども、署名した人たちも、署名だけで満足しないで欲しい。それだけでは何もやってないのと一緒だ
市民ではない人の署名が、何筆集まっても動きはしない。伊丹市民からの声が上がって選挙で落ちるという恐怖がないと。じゃあ、どうすりゃいいのかってのを具体的にはすぐ思いつかないけども
例えば、伊丹市83000世帯全部に「存続に声をあげてください」というチラシをポスティングすれば全然違う。83000撒いたところで、同調し声をあげてくれる市民は100人もいないだろう。けども、「関西の演劇人は83000世帯にポスティングできる動員力がある」と示せたらでかい
市民じゃなくても83000もチラシをまけるだけの組織力、動員力があれば立派な圧力になる。しかし、じゃあ現実的に出来るつったら、もうめちゃくちゃ難しい。1人1時間200枚としても、415時間かかる。費用はどうするのか、ダブらないように采配はどうするのか。クレーム処理は?
しかし現時点で2000人署名してるわけで、もしその4分の1の五百人やれば1日でできるわけでさ。本気でアイホールを存続させたい署名だけじゃなく、それくらいやるつもりの気概を持って欲しい。ネットで吠えても仕方ない、実際の行動あるのみ

(次のTwitterの連続投稿を筆者が見やすいようにつなげて掲載した  https://twitter.com/hibiki_takama/status/1418033210479415296

 上の指摘を受けて、大阪で演劇活動を行う松本謙一郎さんが、「アイホール作戦会議」を開催していた*2

署名も武器の一つとして、しかし署名だけでは「演劇ホールとしての」アイホールを存続させるのは非常に難しい状況だと考えます。

だから、ぜひ、具体的な「作戦会議」がしたい。
署名賛同する以外に出来ることはないのか?
署名にしても、どのような方法で何筆集めて、その数字をどう使うのか?
行政が希望している課題を解決するにはどういう方法が考えられるか?
伊丹市民や議会に訴求するためには何が有効か?

何か行動を起こせないか考えている人はいると思うので、思いつきでもよいのでアイデア出しの機会があれば、一人で考えるよりも建設的なのではないかと思います。

thinkinghand.blogspot.com

 以上のように、新聞報道以降、瞬く間に次々と行動が起きている。これはもう10年以上前から続く、関西の演劇活動をする場の閉鎖の連続に対し、相当の危機感が持って関係者が動いていることを示している。そして、これくらい迅速に対応しようとする人材(それも、いま、あちこちの業界が求めている30代、40代の中堅)が豊富にいる演劇の業界を、もっと自治体も有用に使う余地はあるのではないだろうか。どの地域でも、将来のことを考えるときに、かならず「人材不足」と「資金難」が挙げられるが、いま、切り捨てられようとしている人材にもう一度目を向け、ともに新しいスタートを切る可能性は十分に残っていると私は思う*3

 

*1:詳しくはこちら→ https://www.facebook.com/akoak.takahashi1/posts/1018079978953966

*2:この記事の多くの情報は、松本さんの記事を参考にしている。

*3:これは半分、自分が大学業界に思っていることでもあります