藤本タツキ「ルックバック」

 昨日、ジャンププラスで公開された藤本タツキ「ルックバック」が大きな話題を呼んでいる。作品は無料で読めるし、英語版も同時に公開された。(日本国内からは英語版はアクセスできないようだ)

shonenjumpplus.com

 この作品では、藤野と京本という二人の女の子が中心になって描かれている。漫画を描くことが好きな藤野は、不登校の京本が高い画力をもっていることに打ちのめされる。だが、京本は藤野の漫画を誰よりも愛し、彼女を尊敬していた。二人は共同で漫画を描きはじめ、デビューし、作家として成長していく。京本は美大への進学を決意し、二人は別々の道を歩み始める。ところが、ある日、京本は見知らぬ男に殺されてしまう。

 この作品は、明らかに現実に起きたいくつかの殺人事件に着想を得ている。そのひとつが、2019年7月18日に起きた京都アニメーション放火殺人事件であることは間違いないだろう。この事件では、多くのアニメの製作者たちが被害を受けた。ただし、この作品はあくまでも、藤野という一人の女性漫画家が失った、大事な友人であり仲間である京本との深い関係と、喪失を描き出している。そのため、より普遍的な次元での「喪失」を表現しているため、多くの人の心を揺さぶるだろう。

 作品の中で描かれる藤野と京本の関係は独特だ。かれらは、お互いの性格や個人的な事情によって惹かれ合うのではなく、あくまでも「描くこと」への執着で結び付けられている。京本の強烈な背景絵画への執念に、藤野は自分の漫画を描く熱情を掻き立てられた。同時に、京本は藤野の手を取り、漫画という作品を完成させていくプロセスを経ながら、自らの絵を極めていきたいという熱情を得て、それを美大進学へ傾けるようになる。コマのなかでの親密なかれらの姿のそばには、いつも漫画がある。かれらはお互いに「描くこと」によって結び付けられていった。

 京本の死後、衝撃を受けた藤野は「私のせいだ」と思う。藤野は京本の死にはなんの咎もない。だが、突然に暴力的にもたらされた親しい人の死に対して、多くの人は自責感を抱く。そのとき、藤野は想像の力で「別の未来」を構想する。自分が京本と出会わず、彼女を外に連れ出さず、漫画を描かずに空手をしていて、彼女の命を救う、そんな未来だ。しかし、藤野の想像の世界でも、京本はやはり絵を描き、藤野の作品を愛している。そして、「別の未来」から、京本からのメッセージとして、今いる藤野のもとに漫画が届く。それがきっかけで、藤野は京本とはどうしようもなく漫画で結びつけられていることを再確認し、漫画を描く作業へ戻っていく。彼女との繋がりは、「描くこと」によって続いていくかのようだ。

 私はこの作品を初めて読んだあと、すぐに最初のページからもう一度読んだ。ページの隅々までに埋め込まれた、たくさんの情報。そこから立ち上がってくる「たしかに生きていた」かのような、二人の存在。そして、いなくなった京本と、これからも描き続ける藤野の姿に、心を動かされた。凄惨な出来事のあと、それでも生きて描き続ける藤野の姿は、きっと多くの喪失を経験した人たちへの励ましになる。また、たくさんの挫折や苦悩の中で創作を続ける、漫画家や作家への強いメッセージにもなるだろう。

 他方、あっという間にこの作品がネットで拡散され、多くの人が感動しているさまを見ているうちに、私の中にはだんだんと躊躇や不安が湧き上がってきた。個人的なレベルでは私も感動しているが、ネットの特有のカスケードによって、「感動」が流れの早い濁流のようになっていくのを幻視してしまう。

 懸念事項は二つある。一つ目は、加害者の描かれ方である。この作品はあくまでも「被害者の友人」である藤野の視点から描かれている。そのため、加害者についてはほとんど背景の情報なく、突然現れたモンスターのように扱われる。さらに、加害者は特定の病気の症状を持っていることは、読む人が読めばすぐにわかる。そのことによって、当該の病気の偏見が強化される危険は十分にある。また、当該の病気を持つ人から、読むのがつらいという旨の発言があったという話もみかけた。加害者となる人にも、そのひとの歩んできた道があり、困難があり、苦悩がある。この作品はそれを捨象していることで、作者の意図せぬ影響を与えてしまう可能性はある。

 ただし、この作品は読切の短編漫画である。もし、加害者のそのような詳しい背景を書き込めば、途端に作品は膨張し、焦点の定まらないものになるだろう。たとえば、私が先日、紹介した*1フェルナンド・アラムブルの『祖国』は被害者・加害者とその周囲の人々の人生について描き出した素晴らしい文学作品であるが、日本語版は上下巻ある長編小説である。それを購入するだけで6600円もする。なかなか気軽に手が出せる値段ではないし、文字を読むことが得意でない人にとっては、大変な読書になる。「ルックバック」は無料で公開され、絵の力によって多くの人の心を揺さぶる。その力は、やはり今のような読切の短編漫画だからこそ持つものであることは否めない。 

  二つ目の懸念点は、ショッキングな出来事の後、すぐにまた創作活動に戻ることが「良いこと」であるようなメッセージが強く伝わりすぎることである。私自身、殺人事件ではないが、友人を亡くしたことがある。そのあと、私はしばらく論文が書けなくなった。その経験があるからこそ、私はこの作品に強く心を動かされたところがある。だが、書けない渦中で読むと、つらかったかもしれない。そのときの私は、この作品が「正解を示している」ように受け取ることが想像できるからだ。

 この2点の懸念があることは、「ルックバック」という作品をなんら毀損しない。アートは正解を示すものではないし、全ての人に受け入れられることを目指すべきでもない。ただし受容者が、全てを無批判に受け取る必要もない。だから丁寧に考えていく場は必要なのだろう。つまり、この作品は批評に耐えうるし、「議論の素材」となることに値するということである。私はこの作品は、一人の心の中にしまって大切にされる宝物になり得ると同時に、多くの人と話すきっかけとなる素材になり得ると思う。

 ただし、私はそのような議論はネット上では難しいと感じる。クローズドで、個人的な経験や感情的な動揺も含めながら、作品についてゆっくりと掘り下げていくような、そんな静かでパーソナルなやりとりができる場*2が必要だろう。それはコロナ禍の現状では難しいが。

*1:近況 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

*2:私は京都アニメーション放火殺人事件について、大学の非常勤講師をしているなかで、授業中に学生と話し合ったことがある。でも、それは1年近く少人数で毎週、戦争やテロ、暴力について対面での議論を重ね、学生の側からの提題だったから可能だった。あのときの、被害と加害についての静かで心に食い込むような議論は、私の心にしまってあるが、誰かが意図したりデザインしてもたらされる瞬間ではないと思う。たまに、そういうことは起きる、それだけだ。

「加害者であった」「被害者であった」からできること

永井陽右さんのインタビュー記事を読んだ。5年前に収録されたものではあるが*1、ご本人のキャラクターや明るい語り口が全5回にわたって記録されており、よく伝わる記事だった。

next.rikunabi.com

 永井さんは、高校生の時にツバルの記事を読んだことで、ものの見方が一変した。それまでは、いじめの加害者であったが、そのことを痛悔し、別の生き方をすることを決意する。そして、世界で苦しんでいる人を救おうと猛勉強を始めて大学に入り、学生活動としてソマリアのギャング更生プログラムを現地の人たちと開始する。永井さんは、紛争解決の知識も英語力もないまま「若者」として、ギャングの若者たちと直接つながりを持つ。そして、かれらが地域のリーダーになり、治安をよくするための活動の担い手となるよう、支援するのである。

 偶然だが、私は修復的正義の実践者である、ブラジルのDominic Barter*2の話をオンラインシンポジウムで聞いたところだった。Barterは、ブラジルのスラムで暮らす子どもたちと対話サークルを始めた。Barterが強調するのは、外部から入る「支援者」は万能の救世主として振る舞ってはならず、そこで暮らす人々の話に耳を傾ける必要があり、かれら自身が対話の中で問題解決をしていく道を見つけ出すのを手伝うことを仕事としなければならないということだ。そのBarterの話と、永井さんの活動はオーバーラップして見える。私にとって、永井さんの活動は修復的正義の一環として捉えられる。私の関心のある領域なので、とても興味深く読んだ。

 永井さんは、大学卒業後はイギリスのLSEに進学して専門知識を身につけた後に、紛争地域での大人のテロリストの社会再統合に取り組むようになる。当然、危険の伴う仕事ではあるが、その原動力には過去のいじめに対する自責感があるという。永井さんは、加害者であったからこそ、加害者になった人を止めることで、被害者になる人たちを救おうと奮闘できる。永井さんの強さの根底には、「加害者であった」という過去がある。

 正直に言えば、私は永井さんに共感するところがなく、ほとんど何を言っているのかわからないし、同じ行動を取れるとも全く思わなかった。私は、たぶんソマリアに行ったらすぐに心が折れるか、死んでしまうかだろうと思う。それでも、からりとした語り口と失敗を隠さない率直な言葉に、何度も笑ってしまって、記事は面白く読んだ。私はこういう仕事を続ける人たちの強さと勇気を心から尊敬する。

 それでは、私が弱くて勇気がないかと言えば、そういうわけでもないだろう。私の出発点は「被害者であった」ことである。永井さんは、紛争の渦中に飛び込んでいくが、私は紛争が終わって何年も続く、被害者の恨みや憎しみにいつも心惹かれる。私は紛争の「アフターの研究者」なのである。もう物理的な紛争は終わっているので身体的には安全だが、被害者たちの底のない沼へ沈んでいくような語りを聞き続けることは、精神的に危険である。一緒にズブズブと沈んでしまえば、死の甘い誘惑が迫ってくる。私もそれが怖いことがあるが、今のところは元気に研究している。これはこれで、私の強さではあるし、その根底には「被害者であった」過去がある。私自身が、強い感情に焼き尽くされてそのまま破滅するような感覚で何年も生きていたので、そういうものへの忌避感が薄い。

 永井さんは、死の恐怖を「明るいニヒリズム」で乗り越えてきたという。どうせ死んでしまうのだから、それまでは必死に生きることに夢中になればいいとうことだ。それになぞらえて言えば、私は「明るいタナトフィリア」である。タナトフィリアとは、死や絶望的な状況に対して性的興奮を感じる異常な性癖であるとされている。私はさすがに性的興奮はしないが、そういうものに惹かれるわりに、「わあ、大変」と妙に明るく受容するところがある。自分に起きたこともとても楽しく語ってしまう。なぜなら、私は絶望的な状況の中にあるキラキラしたものを見つけ出すのが得意だからだ。たぶん、どんな人生にも統一された「暗黒」というものはなく、どこかに破綻があり、突破口はある。もちろん、自分の人生に対してはそれを見つけ出すのが難しいことはあるが、他人の人生について「ここに実はこんな素敵なものが」と気づくことはできる。ただ、私の残念なところは「うまくいってる人生」では、その能力が発揮されず、とても「大変な状況にある人生」にだけ働くことである*3。そういうわけで、私はいつも災害や暴力、戦争、犯罪などについて考えているが、別にいい人ではない。むしろ、悪い人かもしれないと思う。だからこそ、できるだけ当事者に良い形で利益が還元できるように活動したいと思っている*4。私は、私のやるべき仕事をしていきたい。

 そして、永井さんと私は年がちょうど10歳違う。下の世代にあたる。私には、永井さんの姿勢や行動は伸びやかで、眩しく見える。私は大学に入ったのが2001年で、すぐに9.11のテロが起きた。それまで「多文化主義」が称揚されていたのに、一変して「テロとの戦争」が始まった。日本社会もすっかりと「報復」が正義とされる雰囲気に席巻されてしまった。それと重なるように被害者の権利運動は盛り上がり、死刑を求める声が世論の中にも広がっていった。私はその中でひたすら混乱し、自分の進むべき道を探し続けた。それが形になったのは大学院博士後期課程に進み、博士論文を書いた2016年ごろであるから、15年くらい私は悩んだだけであった*5。そのあいだに、永井さんは次々とアクションを起こしていたのだと思うと、「なんという違い」と感嘆する。いま、2021年に大学に入った学生たちも、コロナ禍のなかで大変だと思うが、永井さんのような先輩たちと新しい社会を作る道を探して欲しい。それができなくて、混乱して暗いことしか考えられない学生は、ようこそ、私たちの世代の世界へ。いつでも歓迎します。

 本当はこうして、いろんな道があることを、若い人たちに伝える必要があるのだろうと思う。過去を忘れる必要も、隠す必要もない。これから生きていくために、向き合い、糧にしていくしかない。取り返しのつかない過去のない人間はいないのだから。

*1:2021年のインタビュー記事もある。こちらは類似の内容がコンパクトにまとめられているが、永井さんの独特の語り口はカットされているので、リクナビの記事の方が面白かった。

https://ampmedia.jp/2021/03/13/accept-international/

*2:Barterの紹介記事 https://www.euforumrj.org/en/dominic-barter

*3:もし、私のこの能力にもっと汎用性があれば、コーチング業やコンサルタントの道もあったかもしれない。残念ながら私は日常生活の話に対してはもうひとつ勘が働かない。

*4:研究はそれがけっこう難しく、悩むことも多いが、たまに役立つと言われるととても嬉しい。

*5:そういう時期は大切だと理解はしている。

近況

 先日、ベルギーも含めた低地地方で大規模な洪水が起きたため、知人・友人から安否を気遣うメールをいただきました。幸い、私の住んでいる地域は目立った被害はなく、今日は空も晴れており、いつもどおりの生活を続けています。

 大雨が降った時期は、私はちょうどスペイン北部のバスク地方に住むLaÿna Drozさんを訪ねていました。今月末に開催予定のオンラインワークショップや、ほかの研究プロジェクトについて対面で打ち合わせをするためです。私たちは、facebookメッセンジャーなどでこまめに連絡はとっていますが、やはり会って話すとぐっと踏み込んだ内容を議論できてよかったです。Laÿnaさんとは日本で知り合ったのですが、私がヨーロッパに移ったことで共通の話題も増えて話は尽きませんでした。

 また、せっかくのバスク訪問に合わせて、出版されたばかりのフェルナンド・アラムブル『祖国』(河出書房新社、2021年)の日本語版を入手しました。旅のあいだも読んでいたのですが、どんどん物語世界と風景が重なっていき、酩酊感がありました。 

  「政治的目的による殺害」の当事者である、被害者家族と加害者家族の9人の人生がタベストリーのように織り込まれて展開されていきます。「謝罪と赦し」がテーマになるのでしょうが、必ずしもそこだけに焦点を当てる必要はないと思います。私は下巻の160ページから始まる「92 最愛の息子」の節が一番心に残りました。自分が、なぜ「修復的正義」を研究し続けてきたのかを思い出すような一節でした。被害者・被害者家族が抱く「Why me?(なぜ私?)」の問いと真実を求める切実な声、それに応えられるのは加害者本人だけであること。その一点が、私が修復的正義にこだわる理由です。加害者の言葉の多くは薄っぺらく、被害者・被害者家族の苦悩と比べるとあまりにも軽い。にもかかわらず、その言葉を被害者・被害者家族が求めることがあります。それは第三者の立ち入れない世界です。さらに、そこでは被害者家族・加害者家族の内部も引き裂かれます。「誰も取り返せない過去」と向き合うときに起きる、関係の修復と断絶の繰り返しが、修復的正義のプロセスにはあります。

 修復的正義で重視されるのは、結果ではなくプロセスです。和解や相互理解は、「あっても良いもの」であれど、そこに向かって努力する必要はありません。ひとりひとりが、答えを出していくプロセスがあり、それを見守る人々がいること。そして、忘れられていた過去がもう一度日の当たる場所に晒され、再検討され、関係者によって倉庫の中に整理され、しまわれていくこと。私にとって修復的正義はそういう虫干しのようなプロセスです。傷は無くならないし、癒されない。でも、前よりもよい方法で保存し直されます。

 おそらく、この小説には反発や批判もあると思います。私も、この小説の政治的効果をもったり、誰かを追い詰める可能性があると考えながら読みました。それでも、読む人の心を動かし、前に考えていたことを別のことに変えてしまうような、文学の力をもった作品だと思います。たとえばホシェマリは、私が若いときに出会った男性活動家と似ていて、物語の前半では嫌悪感がありました。ところが、後半では、私は自分の内部に彼との共通点を探そうとしていました。この私の変化は、微細な人間の心の機微を描き出す作者の文章の力によるものだと思います。

 ひとつだけ残念なのは、訳者の「あとがき」です。訳者の解説はバスクの歴史を踏まえ、簡潔で明確でとても優れています。しかしながら、訳者は「”祖国”とは自分の帰る場所、自分の言語なのだろう。バスク人にとっての「くに」は母国語バスク語であり、私たち日本人にとっての日本語だ (373)」と書いています。この二行を読んだとき、私は日本という国の現実に引き戻された気がしました。日本は、日本語を植民地に押し付け、かれらの言葉を奪ってきました。「バスク人」は言葉を奪われた側ですが、「日本人」は言葉を奪った側です。また「日本語」を使う人は「日本人」だけではありません。それを「私たち日本人」と括ってしまうことは、そうではない人の存在を無視することになります。こうした二行が、優れた『祖国』という作品の最後に書かれてしまうことこそが、日本の民族主義・排外主義と暴力性の象徴のように、私には思われました。もちろん、この二行があることは、訳者の翻訳の労や作品の質をなんら毀損するものではありません。しかしながら、この二行は本当に残念でした。

非営利のはてな村とロスジェネの遺産

 ずるずると終わらない「はてな村論」ですが、お金の話が出てきて、だいたいの結論は出たと思います。こちらの話の通り、はてなに記事を書いても儲からない。一時期は、商業誌ライターへの登竜門であったこともありましたが、今はnoteのほうが優勢でしょう。本当にただの「ブログを書く場所」が今のはてな村です。才覚ある人々は出ていってしまった。

phenomenon-2.hatenadiary.org

 ネットで「マネタイズ」という言葉が流行ったのもずいぶん前のことです。いまや、ネットで書くことで金銭を得るのは当たり前のことになりました。出版社が作家の連載を企画し、それが再録されて本になる時代です。私が初めてインターネットに接続したのは1998年ですが、当時は検索ツールもなく、私は何をしていいのかわからないので、なぜか山伏が修行している写真が掲載されているサイトを延々と見ていました。20年でネットは全くの別物になりました。

 かつては批評家の東浩紀さんも、はてなにいました。彼は今はゲンロンという会社を立ち上げて経営者になっています。最もマネタイズに成功した文筆家の一人でしょう。会社経営についての新書も出されていますが、面白かったです。

 印象に残ったのは、経営の失敗の根幹には「俺みたいなヤツを集めたい」という想いがあったというくだりです*1。つまり、「すごい人たち」が集まって新しい分野を切り拓き、ビジネスを成功させたいという夢があったのです。 そこから、東さんはビジネスでは自分とは異なる価値観を持つ、「俺とは違うヤツを集める」方向に転換することで経営の危機を乗り切っていきます。非常に説得力のある話でした。

 他方、いま、はてな村に残っている人たちからこういう成功譚が出てくるとは思いません。そもそも「すごいヤツを集めたい」という気概が全く感じられない。先日のトークイベントでもそれは顕著でした。

ta-nishi.hatenablog.com

 このイベントには、会の進め方について批判も出ているのですが、聞いていて感じたことは「誰もマウンティングしない」ということです。誰も「自分はうまくやってる」とか「あいつはダメだ」とか言い出さない。何を話しているのかというと、「自分にとって書くこととはなにか」とか、「自分が伝えたいことはなにか」とか実存的なことばかりです。つまり、相変わらず「自分探し」をしており、経済的・社会的成功の話に繋がっていかない。全然、儲け話に発展するいとぐちはありませんでした。そして、それは私の心性とも重なっています。

 私はその背景には、少なからず「ロスジェネ」と言われた世代感覚があるのだろうと思っています。特に、2000年代後半には自己責任論が吹き荒れ、経済的・社会的成功は個人の能力と努力に還元されました。今、振り返ってみれば不景気を理由に企業が雇用を絞ったため、多くの若者たちが職を得られなかったのですが、当時の世論はそれを「若者たちの努力不足」や「弱さ」で説明しようとしましたし、政策的にも若年層の失業や貧困への対策はほとんどありませんでした。もはや、その頃は「正規雇用」にありつくことが「すごいこと」でした。また、就職後も過重労働やハラスメントが頻発していたため、多くの若者は非正規雇用の仕事を転々としていました。(私も含めて)当時の若者は自分の内面に原因を求める圧力が異様に強くかかっていました。

 そのオルタナティブが「居場所」です。一部の若者たちは、フリースクールやシェアハウス、自助グループなどに、オルタナティブな場所を探していきました。私もその一人です。「すごくない人」でもボチボチ、ゆるゆるとやれる場所が欲しいと思っていました。実際には、そういう場所は、人間関係が上手くない人が集まるため、揉めごとも多いのですが、いわゆる能力主義とは違う価値が守られているように(少なくとも当時は)見えました。「すごくない人」たちが、自分を語り、自己表現していく場がそこには蜃気楼のように浮かんでいました。

 はてなで、そういう幻想を抱いた人が今も「はてな村論」を続けているのかもしれません。はてな村に内実はなく、一部の人たちの「集団幻覚」や「共同幻想」に名前がついたもの。守りたいのはその幻想であって、現実の利益ではない。

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 私はこういう心性がどれくらいの人たちが共有するものなのかはわかりません。個人的には50代、60代の人たちは、このような「居場所」は唾棄すべきものとし、ともすれば「傷の舐め合い」とも言い出す印象を持っています。

 他方、この心性が特殊なものかと言えばそうでもないと思っています。たとえば、私はいま水俣病の研究をしていますが、作家の石牟礼道子が社会運動の中で「もうひとつのこの世」というキーワードを創出しています。「もうひとつのこの世」とは、生きていくのがつらい人たちが夢見る、共同幻想です。これは、水俣病運動の中で語り継がれていく重要なキーワードなのですが、具体的な定義やビジョンがあるわけではなく、それぞれが勝手に思い描く「もうひとつのこの世」を語り、それが水俣病運動の一つのエネルギー源になりました。という話を、私は英語の論文で書きました*2。石牟礼はそれこそ文学的に「すごい人」なので、「もうひとつのこの世」論の強度は、はてな村論と比べてものにならないのですが、その基底にある心性は共通するようにも思います。

 「私のようなものでも生き延びれる場所」がはてな村だったのではないでしょうか。そこにあるのは、社会の圧力により傷ついた自己愛を癒し、承認が得られる場所、という夢です。それと同時に、トークを聴いていて思ったのですが、今こんなふうにはてな村を語る人たちはみんなすでに「生き延びた側」だということです。はてな村にも残らなかった/残れなかった人たちもいるし、死んでいった仲間*3もいました。そして、残った自分が「すごい」とはやはり思えない。そう思うことに罪悪感すらある。私たちが若かった頃、宮台真司さんが売れっ子で『終わりなき日常を生きろ』というフレーズがまだまだ有名でした。

  でも実際には、ロスジェネ世代の日常は薄氷の上にあり、いつ崩れてもおかしくない予感とワンセットでした。明日、この生活は水泡に帰すかもしれないという恐怖のなかで生きてきて、いま、自分がここにいるのは幸運だと思います。「すごくない私」が生きられる場所があったことは、はてな村の幻想と結びつき、強烈にそれについて語りたくなる。そういう話ではないでしょうか。

 ただ、次の世代はもうはてな村の夢は見ないし、興味もないでしょう。時代が変わったからです。では、もうはてな村論に意味はないかというと、そうでもないように思います。この一連のやり取りの中で、お互いがキーワードを借用しあい、それをヒントに自分の考えていることを書いていくプロセスはやっぱり私には面白かったのです。外からはわからないかもしれませんが、本人たちはおそらくお互いが呼応していることがわかります。このゆるいやりとりが「居場所」にあるものです。

 そして、私が思うことは、本来はこういう議論をアカデミズムでもしたかった、ということです。業績主義や権威主義に縛られて、どっちが偉いだの、誰が有名だのという話を傍に置いて、お互いの言葉に反応しあいながら、学問的な議論を私はしていきたいのです。それは、今の私の(日本の)立場ではとても難しいことです*4

*1:いま、手元に本がないので正確な記述とは異なります

*2:本当はもう公開されているはずだったのですが、遅れに遅れ、来年1月ごろ正式に発表されます。査読は無事に通過しました

*3:比喩でなく

*4:今の海外の環境では、それができるので私はとても楽しいのですが、理由がよくわからない。業績主義はこっちのほうが過酷なのですが。

ブログを書くことの不思議さ

 Twitterのスペースで行われた、はてな村についてのトークイベントを聞いていました。

ta-nishi.hatenablog.com

 みなさん、お話が上手なので楽しく聴きました*1。個人的には白熊( id:p_shirokuma さん)の話が面白かったです。ちょっとイメージ変わりました。途中の「手紙を書く」という話は参加したくて挙手してみたんですが、あててもらえず残念でした。

 途中からは、みなさんの話を聴きながら、ネットに限らず、プラットフォーム作りについて考えていました。「顔が見える関係」と「顔を見えない関係」の両面がうまく作動すると、コミュニティが活性化するのでしょう。コロナ渦で、オンラインでのネットワーク化やコミュニティへの新規参加者の包摂について考えることが多かったので、思わぬ収穫を得ました。

 Twitterのスペースは、参加の気軽さや「わいわいしている雰囲気」がよく伝わってくるのは、とても面白かったです。他方、スペースは落ちることも多いですし、チャット欄等もないというのは私にとって少ししんどい媒体でもあると思いました。その点、Zoomですと、スライド共有やチャットによる情報のフォローアップもできますし、何より「誰が喋っているのか」を視覚的に把握しやすいのでずいぶん楽なのだと気づきました。今後、オンラインのイベントやミーティングの主催者にとって、ツールをそれぞれの特性に合わせて選ぶことは、大事なポイントになりそうです。

 それから、意外だったのはスピーカーの多くが、ブログを読み返していたことです。私は過去の自分の書いたブログは、あんまりにも文章が下手くそでとても読めません。たまに、「ブログをずっと読んでました」と対面でおっしゃてくださる方がいらっしゃるのですが、本当に嬉しくて舞い上がりそうな気持ちと、恥ずかしくて穴に入りたい気持ちとの両方でうろたえます*2。きっと私も第三者の目で読めば、若い自分のことも微笑ましく思えるのでしょうし、もっと年を取れば面白く読めるのかもしれません。

 以上、感想のメモを残しておきます。

*1:一点だけ、あるフェミニストについての陰謀論が出たのに閉口したことは書いておきます。裏付けのない情報を拡散するのはとても危険です。

*2:でも、教えてくださるのは大歓迎です

近況

 6月の地獄のようなスケジュールをなんとか乗り越える見込みが出てきました。まだ気を抜いてはならないのですが、学会報告3本と英語論文、日本語論文1本ずつをなんとかクリアできそうです。日本語では、珍しく刑事司法制度に焦点をあてて、英語圏で展開されている新しい潮流を紹介しています。無事に掲載されましたら、ここでもお知らせします。

 英語での研究活動は、最近はアートに焦点を当てています。先日のEuropean Forum for Restorative Justice (EFRJ)のオンラインのシンポジウムを見ていても、修復的正義とアート・アクティビズムの接合に注目が集まっていました。私も、ベルギーでの実践活動の一つである、Maria Lucia Cruz Correiaのプロジェクトの一部に参加しました。

mluciacruzcorreia.com

 また、EFRJのシンポジウムでは新規参加者が活発に議論をしており、イタリアやスペインからの報告も増えました。相変わらず、アジア系の参加者は私だけなのですが、EFRJとしてはヨーロッパに限らず、米国や南米との連携も強めており、開かれた議論の場の運営に努めていますので、ここからどうなっていくのか、興味深く見ています。

 7月、8月は研究者でもバカンスを取る人が多く、私もそれに合わせて、しばらく休もうと思っています。そう言っても、眼前の課題は多いため、インプットの作業はやめられないと思いますが……

はてなの黄昏と「キリンちゃん」という架空の人格

 ここのところ、はてなの衰退の話が出ています。

orangestar.hatenadiary.jp

p-shirokuma.hatenadiary.com

orangestar.hatenadiary.jp

pha.hateblo.jp

 はてなから人がいなくなっているのは間違いないだろうと思います。最近ではたくさんブックマークがついて、ホットエントリーに入っても、アクセス数はたいして上がらなくなりました。私の知人もほとんどがTwitterに移動しています。なにより、こんなふうに思い出話ばかりで盛り上がるところを見ると、いよいよはてなも黄昏時だなあと思います。

 私自身は、はてなのブログはシンプルなデザインで文章を無制限に書けるところが気に入っているので、サービスが終了するまではこのまま使うことでしょう。ただ、もう以前のように頻繁にネット上の議論に参入することはないだろうと思います。

 私がはてなダイアリを毎日のように更新していたのは、本当に精神的につらい時期でした。大学院進学を望んでいたのに、いろいろなことが重なって叶わず、頭の中で渦巻く考えを吐き出す場所が必要でした。ちょうどその頃、はてなダイアリには大学院生や研究者がたくさんいたので、私には格好の議論をふっかける場になりました。何も失うものがない(と本人は思っていた)ので、今考えると「めちゃくちゃやな」と思うようなことをやっていました。他人には勧めません。

 私にとって、一番勉強になったのはたくさんの本や論文の紹介をしたことです。時には執筆者が私のブログを読んでコメントすることもあり、スリリングでした。研究者になった後、私が批判した本や論文の執筆者が講演を聴きにきてくださって、冷や汗をかいたこともあります。若者の無礼をお許しくださった方々には感謝しています。

 はてなでブログを書いているfont-daというアカウントは、ひとつの人格のようでした。たまにブログタイトルをもじって「キリンちゃん」と呼ばれたこともあります。はてなの「キリンちゃん」は好戦的で、論理モードと感情モードを使い分けながら、相手を圧倒していくような文章を綴ります。時には相手を挑発し、議論のなかでひとつずつ主張を潰していくようなやり方をしました。それは、普段のオフラインの生活での私の振る舞い方とは少し違います。

 2010年に大学院に進学して以降は、私のブログの更新頻度は減りました。私は真剣に研究者になりたいと考えていたので、それに集中しようと思ったからです。私は長く論文をうまく書けず七転八倒しました。10年くらい私の葛藤は続き、ようやくここ数年、楽しく論文を書けるようになりました。今の私ははてなの「キリンちゃん」ではなく、研究者の「小松原さん」として文章を書くことがほとんどです*1

 もちろん、私は意図的に「キリンちゃん」という人格を作ったわけでもないですし、意識して使い分けているわけでもないです。インターネットの良さは相互交流が盛んなところにありますから、そのコミュニケーションのなかで生まれてきたのが「キリンちゃん」です。私の中に「キリンちゃん」は今もいますし、大事な一部です。何度かネットで書いていますが、私は大学院の博士論文の公開審査の場で一人の審査者に「周到な論文で、反論を予測して先にそれを封じていくような書き方をしている」ことを褒められました。いうまでもなく、それは私がはてなで何度も炎上して、批判され、誤解され、悔しい思いをするなかで身につけてきたスキルです。研究者としての私の文章には、ブログを書いていた痕跡は間違いなくあります。ただ、私はブログとは別の書き方をすることが多くなりました。

 そうは言っても、私の研究者としての身分は不安定でいつまでこれが続けられるのかわかりません。それでも、今は資料を積み上げて、分析をしながら自分の理論を提示していく論文を書くことが、一番の楽しみです。金銭的、精神的に研究できる状況が確保できる限りは、続けたいと思っています。また、私の研究者になるまでの話は別の形でお出しする予定にはなっていて、それはそれでありがたい話だと思っています。

 同じような話はあちこちでしていますが、つらかった時期に、書くことをやめずにすんだのは、はてなでブログを読んでくださった方がいらっしゃったからです。私は愛着があるので、はてなから人が去っていくのはさびしい気持ちにもなりますが、同じところで留まることが良いことでもないでしょうし、時代とともに人が新しい場所に移りながら新しいものを書いていくことは、とても自然なことのように思います。

*1:私は今年の春、突発的にTwitterをやめてしまったのですが、いま思うと、あのアカウントは「キリンちゃん」と「小松原さん」が入り混じった状態になっており、自分にとって使いづらくなったのかもしれません。ネットで論争になると、私はたちまち「キリンちゃん」になってしまうので。注記しますが、もちろん研究者の「小松原さん」が本体というわけではなく、それはそれで架空の人格です、私にとっては。