近況

 ようやく労働許可・滞在許可が下りたので、ビザが取れました。2021年4月から、ベルギーのルーヴァン・カトリック大学法学部で修復的正義の在外研究を行う予定です。とにかく情勢が不安定ですので、フライトスケジュールの変更のメールが次々と届く状況で「本当に行けるのだろうか」という不安もあるのですが、とにかく一つずつ、手続きを前に進めています。

 ルーヴァン・カトリック大学は、修復的正義の研究拠点であるEFRJ *1の事務局があり、国際的な修復的正義の研究者が集まっています*2。私は、初めて、修復的正義の研究者の集う機関に本格的に滞在することになるので、とても楽しみにしています。これまで積み重ねてきた研究を、相対化・精緻化する機会にしたいと思っています。

 また、EFRJでは、環境破壊における修復的正義の研究プロジェクトもスタートしており、ワーキンググループ も設置されました。私はそのワーキンググループのメンバーにも採用されています。

www.euforumrj.org

 ワーキンググループには、ヨーロッパ、オーストラリア、アフリカ、南米の研究者も参加しており、EUやUNへの政策提言、環境保護区での修復的正義実践、補償請求を目指した修復的正義実践などが検討されいます。私は相変わらず、水俣の話をしていますが、哲学やアート、教育などのアプローチから修復的正義を考えていきたいと思っています。

 加えて、初めての英語論文 'Imagining a community that includes non-human beings: The 1990s Moyainaoshi Movement in Minamata, Japan' が、ピアレビューを通過し、正式にアクセプトされました。こちらもEFRJの発行するInternaitonal Journal of Restorative Justiceという、修復的正義の専門誌です。

www.elevenjournals.com

 私が書いた論文は、1990年代の水俣のコミュニティ再生事業である「もやい直し」のなかで、non-human beings(人間以外の存在)を含むコミュニティ概念が提起されていたことを指摘したものです。死者や魚たちが、生き残った人たちのコミュニティを再生させるシンボルとして機能したのではないかと、考察しています。水俣ではまだまだ「もやい直し」をどう捉えるのかは議論のあるテーマです。公開後にご批判いただくだろうことも含めて、今後も継続的に検討していきたいと考えています。それはさておき、このテーマは私が初めて水俣を訪問した2015年からずっと考えてきたことなので、形にすることができてよかったです。

 今は、英語で石牟礼道子論を書き、別の英語ジャーナルに投稿中です。また、今年は英語の共著に寄稿する予定ですので、頑張って原稿を書きたいです。さらに、現在、ある英語ジャーナルのスペシャルイシューの編集に関わっています。こちらも面白い企画になりそうなので、刊行にたどり着けるように頑張りたいと思っています。

 また、去年から商業誌で原稿を書かせていただく機会が増えました。出版されたばかりの「ユリイカ」2021年2月号に、テレビドラマ『それでも、生きてゆく』についての論考を寄稿しています。

  『それでも、生きてゆく』は、殺人の被害者家族・加害者家族の対話をテーマにしています。私は登場人物の一人で、娘を殺された母親である、響子という女性に着目しました。響子は事件後に魂を失ったように茫漠と生きていますが、加害者家族と接近していくうちに、娘を殺した加害者との対話を望むようになります。そのプロセスは決して平らな道のりではなく、深い絶望を味わいながら、彼女は自分が失った(と感じていた)人間性を取り戻していきます。こうしたプロセスを、フィクションで、しかもテレビドラマという多くの人が目にする媒体で描く意義を問いました。

 また、冒頭では石原吉郎を引用し、「被害者としての連帯」を拒む、孤立した被害者の生き方について検討も行っています。私にとって、石原の「ペシミストの勇気について」は長らく引っかかっていた文章であり、なんとかして咀嚼したいと思っていましたが、予想外のところで引用することになりました。この文章は、また別の形で論じるかもしれないと思っています。

望郷と海 (始まりの本)

望郷と海 (始まりの本)

  • 作者:石原 吉郎
  • 発売日: 2012/06/09
  • メディア: 単行本
 

 

 

*1:European Forum for Restorative Justice 

https://www.euforumrj.org/en

*2:大学院生から、どうやって海外とのコネクションを作るのか聞かれることがあるのですが、私は2014年に参加した国際ワークショップのランチタイムで、隣の席に座っているのがEFRJの取りまとめをしている研究者だったというのが、最初のご縁です。そのとき、アジアからの参加者は私だけで、知り合いは一人もおらず、英語もあまりにできないので、緊張して暗い顔をしていたのですが、親切なその研究者は声をかけてくれたのでした。そこから何かとヨーロッパでの研究についてご相談をするようになり、現在に至ります。

『環境と対話』第二号を発行いたしました。

 私は「環境と対話」研究会という小さなグループの代表を務めているのですが、このたび報告集である、『環境と対話』第二号を発行いたしました。今回は100ページほどの小冊子となっており、水俣についてのインタビュー調査や英語文献史料の紹介、動物倫理に関するエッセイ、ライフヒストリーを元にした哲学的考察、詩など、多彩な原稿を掲載しています。

 冊子は無料ですが、オンラインでは公開しませんので、私が会う人に手配りで広げております。水俣病センター相思社にもお預けしています。また、11月の文学フリマ東京でも、友人の栗田隆子さんに配布いただきます。どこかで手にとっていただければ幸いです。

 私はふだんは大学に所属する職業研究者として、苛烈な競争社会を生きています。業績主義のなかで、私自身、予算の獲得や査読付き論文を通すことに、日々、苦心しています。私は決してこういう競争に強いほうではないのですが、適応するべく努力しているうちに、文章は少しずつ上手くなってきたので「よかった」とも素朴に感じています。私は経済的に安定することを切実に望みつつ、「もっと面白いものを書きたい」と思っていますので、職業研究者を目指したことは結果オーライなところがあります。

 他方、こうした制度化された大学のアカデミズムが、学問の本質ではないとも考えています。本来の哲学や芸術は、日々の暮らしの中にあるものでしょうし、誰かの占有物ではありません。とりわけ、災厄を生き延びた人々や、マイノリティの語る言葉、表現こそが哲学や芸術の本来の輝きを持つとも思っています。なので、細々と冊子を作って配り歩くことこそが、私にとっての本来の学問のあり方のように感じられます。成果物をたくさんの人々に認められたり、商業的に成功したりすることではなく、自分たちの手で作り上げたものを、同じようなことを考えている人たちと共有し、刺激を受け合うことこそが学問の本質ではないかと。

 私は「制度化された学問」と「本質的な学問」との間で、どちらかを選ぶことなく、両方を続けていきたいと考えて今に至っています。執筆者にも恵まれましたし、職業研究者として得た能力や研究の成果も、冊子の発行にあたっては反映できているので、とても幸運だと思います。

近況

 本来ならば9月からはベルギーで在外研究を行う予定でしたが、ビザの問題などもあり、2021年4月に延期になりました。COVID19の影響や学振制度との兼ね合いなどで、しばらくの間はかなり消耗しながら、大使館や受け入れ大学と連絡をとっていました。私は10年以上にわたり、在外研究を希望しながら経済面や研究上の理由でそれがかないませんでした。それだけに渡航ができないという現実に直面するのは大変つらかったです。そのなかで、受け入れ大学の先生方が親身になり、手を尽くしてくださり、本当に救われる思いでした。非常事態においても、遠く離れたヨーロッパで、私の研究環境のために動いてくださる先生方がいらっしゃることに、力づけられて今日に至っています。今後もまだまだ不安定な状況ですので、4月の渡航も心配ではあるのですが、今は前向きに考えています。

 そして、4月からほとんどの研究調査の予定がすっぽりと抜けてしまったので、初めて英語論文を書くことにトライしています。もともと投稿予定でアブストラクトは受理されていたのですが、しっかりと論文執筆に集中できたのはありがたい話でした。1本目はすでに投稿し、editorial reviewでは良い評価を受けてほっとしたところです。今はpeer reviewが始まったところですので、審査結果を待っています。そして、これからあと2本の英語論文を書く予定になっています。

 これまで私は査読論文では、うまく日本の学会と研究課題がマッチせず苦労してきました。私の方も「何を書こうとしているのか」を伝える技術が低く、「どう書けばいいのか」で悩んできました。それでも、今年は論文賞*1もいただき、少しずつ進歩はあると感じているところでした。そこから、英語に言語を切り替え、より広いアカデミズムの世界に出ていくことで、論文を書く楽しみを初めて味わっているところです。査読というのは簡単には通らないものですから、これからまた壁にも当たるのでしょうが、次々と新しいものを書いていきたいと考えています。

 論文に限らず、自分の書くものが変わってことを感じています。環境問題の分野にうつって、急に文学や芸術の話が増えて、自分の中の感情が刺激されたこともあると思います。差別や抑圧と闘い、制度を変えることが重要だという想いは今も変わっていません。金と法律こそが、苦しい状況にある人たちを救うとも思っています。他方、子どもの頃の私は、激しい空想癖があり、児童文学のファンタジーの世界に閉じこもっていました。現実と向き合えない脆弱な子どもでした。その頃の自分を、最近、思い出すことがよくあります。

 そのことを自分に明瞭に突きつけてくれたのは、倉田めば「失われた「声」を求めて」(『治療は文化である』、金剛出版、2020年)です。私は、10年以上前にシンポジウムかなにかで倉田さんのお話を聞いたことがあります。その時のフロアにいた私にとって、倉田さんは成熟した活動家に見えました(たぶん、それはそれで事実です)。でも、その人が自分の心の扉をあけて、アートの世界でまったくちがう自分を表現していることに、胸をつかれました。倉田さんがその中で紹介していた本が『ずっとやりたかったことを、やりなさい』というタイトルだったのも、自分とっては示唆的でした。

新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。

新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。

 

 そもそも、環境分野に移った瞬間に、アートを愛する人が激増しました。それもセラピーではなく、「自己を表現する」ことに集中するアートです。そして、European  Forum for Restorative Justiceという、ヨーロッパの修復的司法の研究拠点でも、やはり環境問題と言えばアートがどんどん出てきます。(もちろん「男ばっかり」という世界からも解放されます)そういう場にくると、私はほっとします。さらに言えば、これまで私が調査を続けている水俣もやはりアートの地です。

 加えて、実は私は6,7月に某公立高校の「パフォーミング・アーツ」という授業の助手をやらせてもらいました。知人が講師をしているのですが、18人の高校2年生、3年生と毎週「何をすればいいんだろう」と手探りで授業を作っていました。一瞬一瞬で、異なる表情を見せる生徒たちと向き合う中で、「表現するってなんだろうな」という素朴な問いに戻っていく感覚もありました。若い高校生の「文字にできる言葉」では捉えられない、非定形の何かがいつも漂っている場が、毎回とても楽しかったです。でも「ああすればよかった、こうすればよかった」という後悔もいつもありました。こういうことも、いま私が「アート」に向かっている気持ちの元にあるのだと思います。

 まだそれぞれは、点と点のままで道筋になってはいないのですが、少し別のことをやりたい気持ちになっているのだなあと思います。もちろん、私は就職を探さなければならない、非正規の研究者でもあります。このようなぼんやりとした発想では、競争に勝てるとはとても思えないというのもあります。もっとオンラインセミナーなどで、積極的に発信していき、業績をあげたほうがいいのでしょう。それと同時に、「そんなことができるなら、私は研究者にならなかった」とも思います。私は労働においては、不動産屋のバイトが一番楽しかったし、自分が役に立っていると感じました。(住むところは、その人の生に直接関わります)でも、私は研究を続けることを選びました。

 以上の話は、まだ矛盾と迷いの中にいて特になにかの結論ではないのですが、メモとして書いておきます。以下、最近、買った本(または予約した)のうちの一部です。読了したものも、まだのものもあります。

夢ひらく彼方へ 〈上〉――ファンタジーの周辺

夢ひらく彼方へ 〈上〉――ファンタジーの周辺

  • 作者:渡辺 京二
  • 発売日: 2019/08/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
植物の生の哲学: 混合の形而上学

植物の生の哲学: 混合の形而上学

 
聖なるズー (集英社学芸単行本)

聖なるズー (集英社学芸単行本)

 
文学から環境を考える エコクリティシズムガイドブック

文学から環境を考える エコクリティシズムガイドブック

  • 作者: 
  • 発売日: 2014/11/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
環境を批評する――英米系環境美学の展開

環境を批評する――英米系環境美学の展開

  • 作者:青田麻未
  • 発売日: 2020/08/31
  • メディア: 単行本
 
荷を引く獣たち: 動物の解放と障害者の解放
 

 

 

 

WANのトランス差別を含む文章掲載について

 WAN(Women's Action Network)に、石上卯乃氏によるトランス差別を含む文章が掲載された件で、ここのところネットで議論になっていました。ふぇみ・ぜみ×トランスライツ勉強会は、WANに対して公開質問状を出し、以下のことを指摘しています。

 

石上氏による当該エッセイは、トランスジェンダーへの差別をフェミニズムの語彙を用いて正当化し、誤った印象操作をするものです。生理などの身体的特徴によって性別が決まるのだと主張して、ミスジェンダリング(誤った性別割り当て)を煽動するとともに、トランスジェンダー排除言説への批判を攻撃と読み替えたり、トランスジェンダー排除派フェミニストを被害者として逆転させたりなどのイメージ操作を行っています。

https://femizemitrans.blogspot.com/2020/08/blog-post.html

 

 以上のように、石上氏の文章がトランス差別を含むものだと明確に指摘されている。他方、WANでは昨年、トランス差別に抗するという声明が出ていました。

フェミニズムジェンダーセクシュアリティ研究は、性差別だけではなくあらゆる差別を、また複数の差別の連動性を問題視する視点を育んできました。この視点は、女性の/女性という経験は必ずしも一様ではなく違いをともなうという洞察を、また、権力関係は男女間だけにでなく女性間にも存在するという重要な気づきを、私たちにもたらしてきました。これは、女性の置かれた社会的位置の多様性に応じて多様な抑圧が生じる複合的な仕組みを考察する上で不可欠の視点です。私たちは、フェミニズムジェンダーセクシュアリティ研究の蓄積から受け継いできたこの視点と洞察の重要性をあらためて確認し、これを培っていくべきだと考えます。

「トランス女性に対する差別と排除とに反対するフェミニストおよびジェンダーセクシュアリティ研究者の声明」

https://wan.or.jp/article/show/8254

 以上のように、WANでは、これまでのフェミニズムで「女性」と言う枠組みそれ自体が議論されてきたことを指摘し、トランス差別に抗することを明言しています。

 それにも関わらず、トランス差別を含む文章を掲載することは、WANの団体としての方針が一貫しないことになります。それについて、このたび、WANから次のような見解が出ました。

これを契機に WAN サイト上で投稿者も望むように「自由でオープンな議論」が生じることに期待して、掲載の方向で投稿者と編集担当の間で、メールでやりとりを行い、8 月12 日に(引用者注:石上氏の文章を) WAN サイトにアップしました。

「公開質問状への回答 WAN編集担当」

https://wan.or.jp/article/show/9108

 上のように、WANでは「自由でオープンな議論」を生じることを期待するとはっきりと書いています。

 しかしながら、差別構造のおいては、差別を「する側」と「される側」は明白な力の不均衡があります。この状況で対話を行えば、差別を「される側」は、弱い立場に置かれたままで、圧力と緊張の中で発話することを強いられます。これはマジョリティからマイノリティへの「対話の強要」として機能します。

 私は、力が不均衡な関係において、対話が不可能だとは思いません。たとえば、私は性暴力の問題について、修復的司法のアプローチにより研究してきました*1。性暴力の知識が十分にあるベテランのファシリテーターが、綿密に練られたプログラムを使い、慎重に性暴力被害者を尊重して対話を行えば、有意義な実践になり得るという結論に至っています。ただしそのためには、膨大なコスト(人材、準備期間、資金等)が必要です。仮に、私はWANがそこまでして、差別を「する側」と「される側」の対話を実施すると言うのであれば、賛同したかもしれません。

 しかしながら実際にWANのやったことは、一方的にトランス差別を含む文章を掲載し、それをもって「自由でオープンな議論」が生まれることを期待しているだけです。差別を「される側」の安全を確保する準備は皆無のままに、「自由でオープンな議論」が勝手に生まれてくるという見解は、反差別団体としてはあまりにも性急であると考えます。

 このようなマジョリティから「対話の強要」は、マイノリティの対話に対する信頼を壊し、声をあげる力を奪います。多くの人々は、自分を差別を「する人間」の前ではうまく話せません。緊張や恐怖、不安などから、スムーズに言葉が出なくなることもよくあります。そうなれば、マイノリティは見せかけの「自由でオープンな議論」の場で、マジョリティに対して、「うまく話せない」という経験を積み重ねることになりますし、そうした苦闘の中で自らの声を失いかねません。

 そして、このような「対話の強要」は、これまで一部の男性がフェミニストに対してやってきたことです。かれらは、フェミニストを「自由でオープンな議論」の場に引きずり出して、「言わないとわからない」「もっと論理的に話して欲しい」「感情的すぎて聞いていられない」「この人の話は特殊すぎる」「あなたに問題があるのではないか」などと論評します。これらの一部の男性の振る舞いへの異議申し立てを、フェミニズムはしてきたはずではないでしょうか。

 私はこれまでWANの会員になったことはありませんし、寄稿等の経験もないため、まったくの部外者ですが、フェミニストかつ対話を研究してきたという立場から、WANのこの見解を批判します。

 

*1:小松原織香『性暴力と修復的司法』成文堂、2017年。

「1945ひろしまタイムライン」の問題について

 NHK広島放送局が企画し、現在も進行中の「1945ひろしまタイムライン」に対する批判が噴出しています。この企画は「75年前のひろしまSNSがあったら」という仮想のもと、Twitterで現在の日時に合わせて3人の(架空の)人物のツイートが流されているものです。このツイートを読んだ人は、まるで現在、自分も1945年のひろしまに住む人たちと同じ時間を過ごしているようなヴァーチャルな経験を通じて、主に原爆投下を中心とした「過去に存在した人々」の生をリアリティを持って感じることができます。つまり、この企画で発信されたツイート群は、当事者の経験を「当事者でない人」に生々しく追体験させようとします。

 この企画で気をつけなければならない点は、以下の三つです。

(1)フィクションであること

 3人の人物にはモデルがいますし、当時の日記等の資料を用いて、1945年を生きたかれらの生の言葉を元にしています。他方、この企画の特徴は、それらの言葉を「自分たちの言葉」で語りなおすことにあります。*1すなわち、ツイートは「かれらの証言」ではなく現代の視点から見た「わたしたちの創作」として発信されています。

(2)企画の一部を担ったのはひろしまに住む高校生であったこと

 ツイートを創作しているメンバーの中には、高校生も含まれています。かれらは、中学1年生の少年「シュンちゃん」のツイートを創作しました。その過程の一部はNHK広島放送局のサイトでも公開され、かならずしも高校生の考えたツイートが、当事者の感情と一致しないことは明記されています。*2

(3)歴史家の監修がないこと

 この企画の監修は、劇作家・演出家の柳沼昭徳さんです*3。 柳沼さんはこれまで、「当事者でない人」が過去に起きた出来事を、地元の住民とともに語り合う中で、演劇作品を創るという創作方法をとってきました。他方、柳沼さんは歴史の専門家ではありません。つまり、この企画は、ツイートを流す前に、歴史的事実と創作の差異を専門家によって検討するというプロセスを経ていません。

  以上の点は、おそらく多くの「1945ひろしまタイムライン」を見ている人は理解していません。私自身、これらのツイートを積極的に読もうとは思いませんでしたが、Twitterを眺めているだけで、フォローしている人たちのリツイートによって一方的に断片的なツイートが流れ込んできます。かれらはひろしまの「生々しい体験」を興奮気味に他者にも伝えようとしていました。

 この企画の問題点が大きくクローズアップされたのは、「シュンちゃん」のツイートがきっかけです。このツイートは、1945年には間違いなくあった差別を背景にした発言を含むものでした。現代であれば「ヘイトスピーチ」とみなされる発言だったのです。もちろん、その発言にはなんの注釈もなく、これまでのツイートと同様に断片的に拡散されるものでした。

 この差別発言の問題については、春乃花さんの以下の記事で詳しく述べられています。

春乃花「ひろしまタイムライン」問題: 「ファシズムの教室」とともに考える

https://note.com/pectapomme/n/n6f9864866d6b

 春乃さんは、ヴァーチャルに過去に起きた出来事を経験し、被害や加害の生々しい感情を追体験しようとすることの効果の、肯定的な面も紹介しています。その上で、ヴァーチャルに被害感情を内面化した人々が、それを反転させて加害感情に転化する危険も上の記事で指摘しています。

 そして、「1945ひろしまタイムライン」の問題点を次のように指摘しています。

こうした「当時を体験する」試みは、慎重に行えば悲惨な歴史を繰り返さない貴重な追体験となるだろう。
しかし、細心の注意とフォローできる準備や配慮もなく、発信だけが一人歩きするツイッターという場では、危険な煽動行為に陥る可能性がはるかに高い。
非常に繊細で危ういことを軽々しく行った罪は重い。 

 以上の春乃さんの指摘に、私も賛同します。私は当事者の経験を、「当事者でない人」が語り継ぐことは重要な意味を持つと考えています。そのときに、生々しい証言は改変され、創作されることもあるでしょう。人間は、人間である以上、他人の語りを完全に再現することはできないからです。そして、再現不可能でありながら、他者の経験を語り継ごうとする営みにこそ、深い意味があると私は考えています*4

 しかし、そのときには、春乃さんも指摘するように「細心の注意」が必要になります。たとえば、すでに広島では被ばく者の声を、「当事者でない人」が語り継ぐ試みが、慎重に行われてきました。広島市被爆体験伝承者養成事業を行っていますが、その研修期間は最短でも3年です。

広島市被爆者体験伝承者養成事業とは」

https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/10164.html

 こちらの記事では、実際に伝承者となった女性へのインタビューが記録されています。

益田美樹「被爆体験伝承者:ヒロシマの記憶を受け継ぐプロフェッショナル」

https://www.nippon.com/ja/features/c03307/?pnum=1

 伝承者の女性は「怖さは当然ある。乗り越えていません。完全になり替わって話すことはできないし、本当のつらさは本人でないと分からないと思います」と認めた上で、次のように語ります。

「体験だけを伝えるのであれば、朗読技術に長けた人が原稿を読む方が、よく伝わるかもしれません。本人によるビデオ証言も同じ。でも、情報の行間であったり、映像に残っていないような本人のちょっとした表情だったり、感情に関する部分は、本人から直接、何度も話を聞いた人だからこそ伝えられることもある。心の受け継ぎ。そういうところを受け継ぐのが大事だと思っています」

https://www.nippon.com/ja/features/c03307/?pnum=3

 この言葉の後に、女性は伝承を続けていくのは、辛い経験をした当事者を「いとおしく思えた」とことが根っこにあると語っています。この記事では、当事者と「当事者でない人」との交流にもフォーカスされ、伝承制度が心を受け継ぐ試みになり得ることが明かされています。

 こうした伝承制度と、今回の「1945ひろしまタイムライン」の取り組みは、同じく「当事者でない人」が経験を語り継いでいくことを目指しています。その最も大きな違いは、目的や手法ではなく、両者が経験する「プロセス」にあります。伝承制度のような取り組みは時間がかかりますし、非常に困難な作業です。また、丁寧に心を受け継ごうとするプロセスは地味ですし、センセーショナルな注目を拒むところがあります。結果として、目立って「みんなの目の届くところ」にあらわれるのは「1945ひろしまタイムライン」なのです。このことをどう考えればいいのでしょうか。

 これは、Twitterという媒体について考えることでもあります。ここ数年、Twitterは個人の交流を目的としてツールだけではなく、社会問題の発信の手段になってきました。その先駆けともいえるのが、「#metoo」のハッシュタグをつけて、性暴力の被害経験を告発する運動でもあります。多くの被害者が自らの経験を語ることで、性暴力に関する社会の注目が集まりました。「被害者への支援」や「被害実態への理解」が急速に広まっていきます。有名人が性暴力で告発され、社会的制裁を受けることもありました。これまで、沈黙を余儀なくされてきた性暴力被害者が、metoo運動で声を上げることができたのです。この運動は間違いなく、必要であり、有用であったと言えるでしょう。

 他方、私はずっとmetoo運動には慎重な態度をとっています。まず思うことは、これまでも性暴力被害者は声を上げたということです。いままで性暴力の問題が明るみに出なかったのは、被害者が沈黙したからではなく、周囲が耳を傾けなかったからです。また、私は「声を上げなければならない」と被害者にプレッシャーをかけることにずっと反対してきました。たとえば、以下のような記事を書いています。

「話さなくていい、声を上げなくていい」

https://font-da.hatenablog.jp/entry/2020/03/09/122141

  さらに、私を躊躇させたのは、Twitterでのムーブメントが、あまりにも簡単に誰もが参加できるものだったことです。私は参入障壁を下げることは、基本的にはいいことだと思っています。社会運動が「人生の全てを賭けなければ参加できない」とは思っていません。多くの人が気軽に参加できる運動は、社会からも注目を集め、問題への関心を高めます*5他方、簡単に参加できる運動は、簡単に離脱できる運動でもあります。次のムーブメントが来れば、その人たちはいなくなってしまいます。そのとき、当事者は取り残されるのではないか、という懸念があります。つまり、「みんな勝手に盛り上がって、いなくなった」とき、置いてけぼりにされる当事者がいるということです。そのとき、社会運動は「当事者の搾取と消費」で終わります。

 そして、「1945ひろしまタイムライン」は企画者の意識的・無意識的な意図にかかわらず、これまでの「Twitterによる被害者の告発」のムーブメントに乗っかるかたちで行われているように、私には見えます。被害経験の生々しい言葉により、人々は怒りや悲しみの感情を自分の中に内面化します。そして、人々は善意から「こんなひどいことがあった」ことを、みんなに知らせようと拡散しました。こうしてTwitter上に目に見えない「私たち」の集団が作られていきます。その感情が十分に膨らんだところで、当事者の「被害感情」が「加害感情」に転化したツイートが発信されます。より弱い立場にある民族マイノリティへの差別発言が行われたのです。ある問題の被害者であることは、別の問題での加害を免罪しません。けれど、往々にして、被害感情は、自らの加害行為に目隠しをします。同時にこれまで当事者の被害感情を内面化してきた「当事者でない人」は、かれらを批判することを躊躇します。こうしたことが、この企画では起きていたのではないでしょうか*6

 NHK広島放送局は今回の差別ツイート事件について、批判を受けて次のように書いています。

当時中学1年生だった男性にとって、道中の壮絶な経験が敗戦を実感する大きな契機になったことに加えて、若い世代の方々にも当時の混乱した状況を実感をもって受け止めてもらいたいと、手記とご本人がインタビューで使用していた実際の表現にならって掲載しました。

NHK広島放送局「8月20日のシュンのツイートについて」

https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/434538.html

 繰り返しになりますが、ある問題の被害者であることは、別の問題での加害を免罪しません。たとえ、中学一年生の少年が壮絶な経験をしていたとしても、そこでの差別発言は加害にほかならず、それを注釈なしに拡散することは、二次加害行為になります。そのことに、この企画を運営するNHK広島放送局が思い至らないのはなぜか。それは「被害者の生々しい証言」であることに引きずられているからではないでしょうか。しかも、このツイートは実際の当事者の心理的混乱の中から生じてきたのではなく、現代の私たちが「自分たちの言葉」として生み出した創作です。私たちはこの発言を目隠しなしに見つめるべきです。差別ツイートは「当時のことを思えば仕方ない」のではなく、現代の私たちが選び、発信した発言です。

 私はこうしたあやまちを避けるためにも、歴史の専門家による監修は必要だったのだろうと考えています。被害者の生々しい証言に、「当事者でない人」が引きずられるのは当然のことだからです。私自身、当事者の心理的混乱から生まれてきた激しい言葉に、よく引きずられます。これは「冷静になろう」という心がけでどうこうできるものではありません。だからこそ、資料を丹念に読んで精査し、専門家同士の議論を重ね、トレーニングを積んできた歴史家の見解が必要とされるのです。

 私は「1945ひろしまタイムライン」の取り組みは、人々が過去の歴史に向き合うための、大きな潜在力を秘めていたと思います。それにもかかわらず、丁寧なプロセスを欠いたため、差別ツイートを拡散するに転じるという失敗をしたように見えます。そして、私が疑っているのは、この企画を運営した人たちの中に「バズらせればいい」という現代風の価値観が何よりも至上になっていたのではないか、ということです。もし、その私の疑いが当たっているならば、非常に危険だと思います。

 

*1:

https://www.nhk.or.jp/hiroshima/hibaku75/timeline/index.html#about

*2:

https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/butaiura/427607.html

*3:

https://www.nhk.or.jp/hiroshima/hibaku75/timeline/#about

*4:この問題ついては、今、投稿論文を書いています。査読を通過すれば、(来年以降にはなりますが)公開されます

*5:私はその成功例のひとつが水俣病運動における「一株運動」だったと考えています。それについては論文を書きました http://www.philosophyoflife.org/jp/seimei201904.pdf

*6:私はこう書くとき、一部の性暴力被害者がTwitterでトランス差別を行なっていることを念頭に置いています。私はあれは、かれらがおかしいと切断するのではなく、metoo運動、そしてそれに乗っかった「当事者でない人」たちの問題としても考えるべきだと思っています。トランス差別については前に書きました。 https://font-da.hatenablog.jp/entry/2019/02/08/124056 

「劇場が閉じた」ことの意味

 新型コロナウイルスの影響で次々と劇場が閉じていく。それに対して、演出家の野田秀樹は「ひとたび劇場を閉鎖した場合、再開が困難になるおそれがあり、それは「演劇の死」を意味しかねません」と訴える文章を発表した。

野田秀樹さん『劇場閉鎖は演劇の死』 公演自粛に意見書」『朝日新聞デジタル』2020年3月1日

https://www.asahi.com/articles/ASN3164G4N31UCVL00B.html

 

 この意見書で、野田さんは劇場閉鎖の前例を作ってはならず、できうる限り、劇場閉鎖を避けるべきだと述べている。また、文章の中で「演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術です。スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではありません」の書いたことにより、スポーツに対する無配慮を批判された。

 このような文脈で「劇場」を閉じるべきか否かという議論があったのだが、先日書いた「『演劇』と『労働』」*1というエントリーに、「劇場」をめぐって鋭いブックマークコメントがついた。以下である。

id:Nihonjin 単に「お芝居」でなく、労働者側的な意味での「演劇」っていうと俺の中では唐十郎みたいなイメージなので、仮設のテントでなく劇場という建築物と結びつく演劇人は権力側、つまりここで言う会社側の人間だと思ってる

 

 私は先のエントリで、労働者が演劇作品を鑑賞することを通して、生の実感を得ることで擬似体験的に日常生活からの解放を経験する意義があるというようなことを書いた。上のコメントは、そのような労働者にとっての演劇の意義があったとしても、それは「劇場」外で行われるテント芝居のようなものではないか、と指摘している。

 つまり、「劇場」という建築物の中に演劇という事象を囲い込み、チケットを買った人だけがそこに入場できるという制度そのものが、権力側によって作られており、労働者はそこから疎外されているということである。そうであれば、劇場の閉鎖による「演劇の死」とは、あくまでも特権階級の人々にとっての「演劇の死」にすぎないということになる。これはとても鋭い批判であると思う。

 そもそも、演劇に「劇場」は必要だろうか。世界的に著名な演出家であるピーター・ブルックは著書『なにもない空間』で次のように述べる。

 

なにもない空間 (晶文選書)

なにもない空間 (晶文選書)

 

どこでもいい。なにもない空間ーーそれを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る。もうひとりの人間がそれを見つめるーー演劇行為が成り立つためにはこれだけで足りるはずだ。(7頁)

 ブルックが簡潔に述べているこの文章が、演劇の本質を表していると言えるだろう。演劇とは「見る者」と「見られる者」がいれば成立する。 つまり、演劇の本質とは自己と他者の相互行為にある*2。他方、ブルックは現代では演劇が誤解されていると指摘する。

ところがわたしたちがふつう言う演劇とは、必ずしもそういう意味ではない。真紅の緞帳、スポットライト、詩的な韻文、高笑い、暗闇、こういったものすべてが雑然とひとつの大ざっぱなイメージの中に折り重なり、ひとつの単語で万事まかなわれているのである。映画が演劇を殺す、などとわたしたちは言う。そのときわたしたちが思い描いているのは、実は映画の草創期のころの演劇、つまり切符売場やらロビーやらリクライニング・シートやらフットライトやら装置転換やら休憩やら音楽やら、そういったものによって現される演劇であって、まるで演劇とは本来こういうものにほかならないのだといわんばかりだ。(7頁)

 上のブルックの文章は1968年に発表されているため、現在読むと、やや古めかしかったり違和感もあるかもしれない。だが、言っていることは、いわゆる建築物としての「劇場」は演劇の付属物であって、演劇の本質ではないということである。すなわち、本質的な意味では演劇は(建築物としての)「劇場」は不可欠ではない。なぜならば、自己と他者の互いのまなざしの間に生まれる「劇場空間」こそが演劇に必要であるからだ。むしろ、「劇場」という制度から解放され、街頭や野外、テントなどによって形成される「劇場空間」の探究が、1960年代以降の現代演劇では行われてきた。その意味で、Nihonjinさんが提起している、建築物としての「劇場」を守ろうとする態度は、権力側につくことでしかないという指摘は一理ある。

 それでは、演劇が本質的には「劇場」を必要としないのであれば、演劇とその他の事象の境目はどこにあるのだろうか。自己と他者の相互行為の場は無限にある。たとえば、隣にいる人に鉛筆を借りることも、協力しあって掃除することも、誰かと料理をすることも相互行為である。そこに誰かが「劇場空間が成立している」と言ってしまえば、それが演劇になってしまう。演劇の概念が無限に広がり、「なんでもかんでも演劇」になってしまう。そうすると、演劇の概念は空虚で力を持たないものになる。

 たとえば、スポーツを観戦する観客と、スポーツ選手の間にも劇場空間は成立しうるだろう。甲子園球場で行われる阪神戦はまさしく演劇的である。応援団長の身振り手振りに合わせて、いっせいに観客は選手に向かって声を張り上げ、応援のメッセージを送る。また、ミスがあれば立ち上がって罵声を浴びせかける。それに応じて、選手は気分を盛り上げたり、プレッシャーに苦しんだりする。ここには「見る者」と「見られる者」の相互行為があり、劇場空間が立ち上がっており、演劇的行為が行われている。そういう意味ではスポーツには、演劇と重なる側面がある。

 だが、スポーツの本質はそこではないだろう。たとえば、阪神戦で無観客で試合をしたとする。そこにはいつもの興奮や盛り上がり、選手の緊張感もなく、試合の醍醐味にかけるかもしれない。しかしながら、その欠落感は、得られた試合の勝敗結果を損ねるものではないだろう。同様に陸上選手の競技会が無観客で行われて世界記録が出たとして、「これは観客がいなかったから、結果に意味はない」とはならない。やはり、記録は記録だろう。つまり、スポーツには演劇的な側面はあっても、本質は「見る者」と「見られる者」の相互行為ではないということである。

 ほかの例にしても、相互行為があったとしても、鉛筆を借りたつもりで、それが存在しない鉛筆であれば、「鉛筆を借りた」とは言えないだろう。だが、演劇ではそれがありえる。なにもない空間、小道具すらなにもない中で、架空の鉛筆をパントマイムで貸し借りする。それを観客が見ている。ここでは、実際に「鉛筆を借りる」ことは起きていないのに、「見る者」と「見られる者」の相互行為は存在する。掃除にしても、料理にしてもそうだ。相互行為はあっても、掃除も料理も実際には完了しない。なぜならそれは演技であって、実際に掃除も料理もしていないからである。にもかかわらず、観客は演技者が掃除や料理をしたところを「見た」。この「見る」だけ、「見られる」だけという生産性が全くないこの行為こそが、演劇の本質である。

 ここまで突き詰めて考えていくと、もはや建築物としての「劇場」など本質的な意味では演劇に必要ないということになる。では、新型コロナウイルスによって「劇場が閉じた」ことに問題はないのだろうか。これについて二点を書いておきたい。

(1)比喩としての「劇場が閉じた」こと 

 私はここまで究極的な意味で、演劇は「見る者」と「見られる者」の相互行為であると書いてきた。だが、この相互行為こそが、今回の新型コロナウイルスの影響で妨げられている。今回の感染症は、人間同士が会い、話すことで広がっていく。だから、感染症の蔓延を防ぐために、私たちは極力相手との接触を減らすようになる。これはまさに、相互行為を自粛するようになるということである。

 つまり、演劇は本質的な意味で撤退を余儀なくされている。単純に建築物としての「劇場」が閉じただけではない。「見る者」と「見られる者」が存在する場所、すなわち「劇場空間」が閉じられていく。現状では街頭、野外、テントにおける公演であっても、感染拡大防止のために自粛が要請されている。その意味では、建築物としての「劇場」だけではなく、あらゆる「劇場空間」が閉じられていったのである。

 おそらく演劇人は敏感にこのことを察知している。これまでも検閲や不況によって「劇場」が閉鎖されたことはたびたびある。また、既存の「劇場」に新しい表現が受け入れられないこともある。もちろん、それらも演劇人にとって由々しき問題ではあるが、「劇場がダメなら他の場所に飛び出そう」という発想はこれまでも繰り返し出てきた。たとえば、もともとの小劇場演劇は、既存の「劇場」では公演できない新しい創造の場を自分たちでつくろうとして始まっている。演劇人*3にとって弾圧や抑圧、既存の芸術との闘いは新しい表現を生み出す原動力になるはずである。

 ところが、新型コロナウイルスの演劇に対するインパクトは、場所を変えても「見る者」と「見られる者」の相互行為を行おうとする限り、自粛せざるを得ないということになる。他者に接触しようとすること自体が危険であるからだ。これは、従来の「劇場」の閉鎖という意味以上に大きな影響を与える。もっと言ってしまえば、演劇人としては、自分たちの武器の全てを取り上げられたような気分に陥るのではないか。

 もちろん、今回の新型コロナウイルスによる建築物としての「劇場」の閉鎖をきっかけに、オンラインでもさまざまな試みが生まれ始めている。この状況に陥ってからまだ数ヶ月であるため、革新的な新しい演劇の表現や劇場空間のありかたは見えてきていないが、世界中の「劇場」の閉鎖をきっかけに、こちらが想像もできないような作品が出てくるような可能性もある。そのとき「見る者」と「見られる者」の意味を問い直すような動きもあるかもしれない。

 ただ、今はまだその形は見えてきていない。だからこそ「劇場が閉じた」ということのショックは演劇人には大きいのだろうと推察はできる。

(2)実験室としての「劇場」

 さて、これまで本質的な意味で演劇には建築物としての「劇場」は必要ないと私は論じてきた。確かに本質を突き詰めていればそうではあるが、私は演劇には便宜的には「劇場」があったほうが良いと考えている。それは、「劇場」には社会における実験室としての意義があるからだ。

 建築物としての「劇場」は奇妙な場所である。お互いがこれからつくりごとの世界で、お芝居を擬似体験するという前提で、お金を払って中に入っていく。「これから舞台で起きることは間違いなく虚構ですよ」という確約がなされている*4。「劇場」では騙すものと騙されるものの共犯関係があるのである。その結果、得られるものは「安心」である。観客は安心してここで起きていることが虚構であると楽しむことができる。たとえ、舞台上で人が殺されても、慌てて救出にいく必要はない。なぜなら、これは虚構であるという暗黙の了解があるからだ。これに対する強烈な違和感を持ち、「演劇は嫌いだ」という人もいる。それはそうだろう。「劇場」は不自然で人工的に作られた場だからである。

 これは科学の実験室を想像してもらうとわかりやすい。実験室では極力、データに影響が出ないように、実験環境を整える。実際の世界で起きている自然現象にそのまま立ち向かうのではなく、人工的な空間で一定程度の結果を得ることを目的としている。中には「実験室のデータでは生身の人間や世界のことはわからない」という人もいる。それも一理あるが、科学実験であるからこそわかることもある。

 同じように「劇場」で行われていることは、社会と切り離され、実際に身の回りで起きている問題に直接的に関わっていくこととは異なる。だが、その密室の中で実験的に行われる虚構の中で、初めてなにかの「事実」に触れることがある。それが、前回の記事で書いた「生の実感」であるかもしれないし、ふだんは見ないようにしている自分の感情や人間関係の機微かもしれない。そこで得られる「なにか」は言葉にし難い、感性的な経験だろう。

 そうであっても、そうした「なにか」を得ようとする観劇体験は、やはり建築物としての「劇場」にいく人だけに与えられる特権的なものにとどまる。ここでいう「特権」とは、単純に経済的な格差だけではない。子どもの頃から演劇に触れる機会や、劇場にいく機会があったか。また、自分の必要なものが「劇場」で得られると思うことができるか。こうした目に見えにくいが確実にある人々の格差がある。そして、演劇人の側がその格差を打ち破るような仕掛けを作り、劇場をより開かれたものにしてきたか/これからしていこうと思うのか、は私にはわからない。

 繰り返しになるが、私は演劇を専門として研究しているわけでもなく、観客としても少し「劇場」から遠ざかっている。私は原理的には「劇場」は社会に「実験室」として存在意義があると考えているが、そうした実験としての演劇を志す演劇人がどれほどいるのかわからないし、少数派ではないかと感じている。なので、この記事も、一つ前の記事も、あくまでも演劇の理念について書いたものであって、実態にそぐわないかもしれない。ただ、このような文章が演劇について語りたいが、語る言葉がまだ足りないと感じている人の、何かの助けにはなるかもしれないとは思う。

*1:「演劇」と「労働」 https://font-da.hatenablog.jp/entry/2020/05/09/142954

*2:これについては、同様の指摘が次のブログにもある。nyakapoko「平田オリザのいう「演劇の意義」を解釈する(https://nyakapoko.github.io/post/10_engeki/

*3:野田や平田がそこに当てはまるかどうかはおいておいて、本質的な意味で

*4:そうではないこと標榜した演劇作品もあるが、ここは一般論としてそうしておく。

「演劇」と「労働」

 ここのところ、演劇の話題が続いている。演劇人が新型コロナウイルスの影響で公演や稽古を中止せざるを得ず、経済的影響が劇場、劇団、舞台の技術スタッフ等多岐にわたり大きいため、支援を訴えているのである。野田秀樹鴻上尚史横内謙介といった著名な演劇人が声を上ているが、いま、もっとも注目を集めているのが平田オリザである。平田さんは、その発言に対して批判が殺到し、炎上し続けていると言ってもいいだろう。

 特に議論を呼んでいるの、平田さんがNHKの「おはよう日本」で日本の政府による支援策の課題を指摘した点である。平田さんは、以下のように製造業と比較して、演劇に対する支援策の難しさを述べている。

製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たち(引用者注:演劇人)はそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。でも私たちはそうはいかない。製造業の支援とは違うスタイルの支援が必要になってきている。観光業も同じですよね。部屋数が決まっているから、コロナ危機から回復したら儲ければいいじゃないかというわけにはいかないんです。批判をするつもりはないですけれども、そういった形のないもの、ソフトを扱う産業に対する支援というのは、まだちょっと行政が慣れていないなと感じます。

「文化を守るために寛容さを」劇作家 平田オリザさん(NHK NEWS おはよう日本

https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2020/04/0422.html

 以上で平田さんが指摘しているのは、産業構造が異なれば、経済支援のスタイルも変えなければならないということである。これまでの日本政府の経済支援は、主に製造業を中心としてモデル化されてきた。製造業の場合は、一時的に減産しても、インフラへの投資や商品開発、業務効率化などを通して増産することができれば、収益をあげることができる。そのため、政府の支援策も増産のチャンスを増やすような投資を助けるための、低金利融資や補助金のスタイルになりやすい。たとえば、経産省の施策の一つである「持続化補助金*1」はまさにこのスタイルであり、現在も新型コロナウイルスの影響を受けた事業者への補助金を増額している。他方、演劇をはじめとした芸術分野や観光業*2では、そもそも「増産」ということが難しい。そのため、「増収によるリターンを目指す投資」とは異なる支援策が必要だと言うのである。

 しかしながら、この平田さんの発言は「製造業」に対する無理解であるとして、厳しく批判されることになった。なぜならば、製造業はもちろん、あらゆる業界が新型コロナウイルスの影響で苦境に立たされている状況だからである。確かに製造業の工場の多くは自粛の対象となっておらず、稼働しているところも多い。だが、すでに工場で従業員での感染例は出ており、この状況で出勤して働かなければならない従業員は感染リスクに直面している。また、今後はウイルスの影響で世界的な不況に突入する可能性が高く、減収も予想される。従業員も今後、雇用が不安定になる不安も大きくなっているだろう。決して、新型コロナウイルスの状況が好転すればもっと儲けられるという楽観はできない。

 もちろん、平田さんも製造業を貶めるという発言意図はなかっただろう。しかし、この状況において、製造業の苦境を過小評価しているというふうに、ネット上で捉えるひとが多く激しい拒否反応が起きた。平田さんはこれらの批判に対して、次のように補足記事を書いている。

「NHKにおける私の発言に関して」

http://oriza.seinendan.org/hirata-oriza/messages/2020/05/08/7987/

 上の記事の中で、平田さんは自らの発言が製造業を貶めているというのは悪意的な切り取りによる解釈であり、実際には産業構造に合わせた支援策が必要だとしか言っていないと主張している。また、政府も芸術分野における支援策については検討中であり、今後の採用可能な異なる支援スタイルとして「座席稼働率をもとにした演劇人への支援策」の例示もしている。

 私は演劇は全くの専門外なので、詳しいことはわからないが、平田さんのこの主張はおおむね妥当なのだろうと思う。他方、私は専門外とはいえ、大学の学部生の時には演劇を研究し、文化政策についても興味を持って本をよく読んでいた。だから、平田さんの主張は「だいたいわかる」と同意するのであって、そうでない人に文化政策やアートマネジメントからのアプローチであることや、その意義は伝わらず、ただただ「批判を受け止めない人」であるという印象が強まったようだ。平田さんと批判者の間の話はあまり噛み合っていない。

 さて、平田さんの発言の意図や妥当性の話はさておき、「演劇人が製造業の人を見下しているのではないか」という疑念は、ある程度、多くの人に共有されているのではないだろうか。つまり、今回の平田さんの発言はきっかけにすぎず、もともと、演劇人は「労働者を見下しているのではないか」と怪しんでいたが、それが爆発したということである。では、なぜそのような疑念が広がっているのだろうか。

 この点について、姫田忠義『ほんとうの自分を求めて』を取り上げて考えてみたい。なぜなら、姫田さんはまさに「製造業」の労働者であったが、演劇の魅力に取り憑かれ、会社を辞めてしまったという人だからである。 

ほんとうの自分を求めて (クリエ・ブックス)

ほんとうの自分を求めて (クリエ・ブックス)

  • 作者:姫田 忠義
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 姫田さんは1928年に神戸で生まれた。姫田さんの父親は8歳から丁稚奉公をし、朝鮮半島へ船に乗って出稼ぎにいき、兵役を果たしたあと、ガス工場で70歳まで勤め上げて、結核で倒れて亡くなった。姫田さんは子どもの頃から父親に「遊び人(あそびど)になるな、働き人(はたらきど)になれ」と言い聞かされていた。ここで言う「遊び人」とは、無職の人やぶらぶら遊んでいる人、ばくち打ちなどに加えて、音楽家や画家、小説家なども含んでいる。当然、演劇人も「遊び人」であった。

 姫田さんは戦争が始まると16歳で少年飛行兵に志願し、軍隊に入った。そこでは上官に殴られ、敵襲がくれば死を覚悟した。また、地雷を抱えて敵の戦車の前に転がり出る対戦車肉弾攻撃の訓練もしていた。ところが突然終戦の知らせを受け、姫田さんは呆然とする。そして、故郷に帰ると兄の支援もあり神戸高等商業学校(現在の兵庫県立大学神戸商科キャンパス)に入学した。入試にある「デモクラシー」という言葉に面くらい、授業もまだろくにないので旅に出る。あまりの社会変化に呆然としながらも、哲学書を読み漁り、卒業論文では「価値とはなにか」について必死に書こうとするが書ききれずに卒業した。まだ勉強したいという気持ちはあったが、食うためにとにかく新扶桑金属工業(現在の住友金属工業)に1948年に就職する。

 姫田さんは研修で工場で働いた後に、労務課の賃金計算係に配属される。しかし、計算が苦手でよくミスをして周りの女子社員に助けてもらっていた。そんななかで姫田さんは、会社の演劇部の若い女子社員に「演出をやってほしい」と頼まれる。しかし、姫田さんは父親の影響もあり、芝居など大嫌いで、学校の演劇部も「なんてにやけたやつらだ」と思っていた。だから断ろうとするが「あんたは理屈いうさかい。理屈がいえれば演出ぐらいできるでしょ」という意味不明な理由で押し切られ、仕方なく引き受けることになってしまう。

 姫田さんは会社の演劇部に入ると、それまで「遊び人のすること」として嫌ってきた芝居の世界に魅了され始める。姫田さんはその理由は、誘ってくれたのが同じ会社働いている人々であり、かれらが「ひと一倍まじめな働き手」たちであることを知っていたからだという。姫田さんは以下のように書いている。

 そのひと一倍まじめな働き手たちが、昼間の仕事が終わり会社のクラブにあつまってけいこをはじめると、まったく人がかわったようになった。せりふのひと言、ひと言に敏感に反応し、笑い、泣き、おこった。そしてその感情の高ぶりが、けいこの外まではみだし、本気で笑い、泣き、おこった。勤務ちゅうにはぜったいに見せることのないはげしい感情の起伏だ。私はそれに目をみはり、心をうたれた。そして私自身も、そのはげしい感情のうずのなかにとびこんでいった。(116頁)

 姫田さんは、芝居を始めるまでは会社員として感情をあらわにしないようにして生活してきた。仕事に感情は邪魔だからだ。だがそうやって感情を抑制することで、感受性が鈍るのではないかとおそれるようになる。また、姫田さんは身の回りの人々が押し殺してきた感情を、演劇作品の中で代弁したいと考えるようになる。たとえば、職場で知らないうちに事件に巻き込まれ、仕事を失って悩み苦しむ弟の代弁を試みた。自分たちの置かれた状況を演劇を通して表現することの面白さにのめり込んでいくのである。

 その姫田さんの転機となるのが、会社内に発生していた「珪肺患者」を作品にとりあげようとしたことである。珪肺は製鋼業に起こりやすい職業病であるが、当時は法律で取り扱いが決まっていなかった。そのため、会社は社員が珪肺病であると訴えても、肺結核であると退けようとする。その珪肺患者と会社側の攻防戦が社内では起きていた。姫田さんはそこで「なんで珪肺とみとめてくれんのや! おまえらはわいを見殺しにする気か!」という声を聞いた。また、ほかの人からは珪肺患者が会社の診療所の医師に「会社がみとめてくれへんのはおまえのせえや! おまえが診断書を書かんからや! わいはおまえを殺すぞ!」と迫った話を聞く。患者の数は多くなかったが、その人たちの生命にかかわることとして姫田さんは重く受け止め、せめて芝居の中で代弁してあげたいと思うようになった。そのための台本を書き始める。ところが、そこで次の壁に直面した。

ひとつのことばが私の耳おくになりつづけていた。「わいはおまえを殺すぞ!」、珪肺患者が、診療所の医師にむかってなげつけたことばだ。このひと言に、どれだけふかい、重い思いがこめられていることか。おれが代弁しなきゃならないのはこれだ、これだけだ、と私は思った。そしてそのためには、舞台の上でこのことばをしゃべらせてはいけない、患者を演じるものがこのことばをしゃべれば、そのとたんに、このことばにこめられた思いのふかさが、重さがすっとんでしまう、ただのおしゃべりになってしまう、と私は思った。芝居の演技者は実際の患者ではない、だからどんなに真剣に熱烈に、演技者がその患者の気持ちになろうとしても、しょせんはまねをしているにすぎない。とするなら、こういうもっとも大事なことばをつかわないで、しかもこのことばのもっている思いのふかさ、重さをあらわす方法はないだろうか。幾晩も私は考えつづけた。そして思った。そうだ、医師を殺すことだ。ことばでしゃべらず、じっさいに(芝居のなかで)医師を殺す。そういう方法でしか実際の患者の思いのふかさ、重さをあらわせないと思った。(122頁)

 このように、姫田さんは苦しんでいる当事者が心から発した言葉を、他者が「演じる」ということについて、考えを掘り下げていったうえで「殺す」という表現に転化することに思い至る。これはまさしく演劇的な転化であると言えるだろう。当事者の声を代弁するだけであれば、シンポジウムを開いて活動家や研究者、支援者などが語ることもできるだろう。だが、姫田さんは、当事者の叫びとしか言えない「極限状態の言葉」を、他の人が代わりに語ることはできないと考える。だから、それを語るのではなく「実際に殺してしまう」という虚構の物語に書き換えるのである。それを演じることにより、当事者の「思いのふかさ、重さ」を表現しようとした。だが、姫田さんは次の壁に直面する。

会社の勤務がおわると寮にとんで帰り、書くことに熱中した。医師を殺す場面まではそうとうなスピードで書いた。が、そこへきたとたんにペンが進まなくなった。いざその場面になると、どうしても医師が殺せないのだ。私はあせった。「これは芝居や、絵空事や。現実の殺人とはちがうんや」、なんど自分にいいきかせたことか。だが、だめだった。たとえ絵空事のなかでも、私はどうしても人が殺せないのである。「なさけないやつやなあ、おまえは」、私は自分がはがゆかった。とうとう殺しの場面はやめてしまった。できあがったものは、患者や医師の真理をごたごたとしゃべるおしゃべり劇でしかなかった。「おれはなんで殺せなかったんや」、書きおわったあとも私はそう自分に問いつづけた。昼間の勤務ちゅうなのに、ぼんやり思いにふけっていることがあった。そしてあるとき、その昼間の勤務ちゅうに、はっと思いあたった。「そうや、おれはなにかに遠慮してるんや。それで思いきって書けなかったんや。なにに、だれに遠慮してるんや? 会社や! おれは会社に遠慮してるんや!」(122-123頁)

 姫田さんは、自分が「殺す」場面を書けないのは、会社に遠慮があるからだと思い当たる。もちろん、自分がこんな脚本を書いたことで批判されるおそれもある。それに、会社の演劇部の作品であるから、演じた同僚も批判されたり、社内の立場が悪くなったりするかもしれない。姫田さんは自分がそうしたことをおそれていることに気づく。そして、次のような心境に陥る。

「こんなことじゃ、おれは思いきった芝居が書けへん。いや、芝居が書ける書けんの問題やない。おれが思いきった自由な考え方、生き方ができるかでけへんかの問題や。こんな右を見、左を見しているような生活をつづけていたら、おれはきっとあかん人間になってしまう」(124頁)

 姫田さんはこのように思い悩むようになる。先輩からは「なれ」の問題だと言われるが、このような生活になれてしまっていいのかとさらに逡巡する。そして、もっと生きている実感を得たいという気持ちはますます強くなり、ほかの事情も重なり、退職して東京に出て演劇をやって暮らしていくことを決意する。ところが、会社の上司は頑なに退職願いを受け取らず、阻止しようとする。その上司は与謝野鉄幹と晶子の子どものうちの一人だった。ついに姫田さんの退職が決まった後、この上司はのみ屋でこんなふうに語った。

「君、芸術家というのはよくよく貧乏を覚悟せなあかんぞ。おれはそれをよう知っとる。おれの親はもう徹底的な貧乏やったからな、おれにはそれがこたえた。芸術家になんかになるもんかと思うた。それで君をそういう道にすすませとうなかったんや」「住友には川田順歌人)や源氏鶏太(小説家)がいる。みんな会社につとめながらやってる。君もそうやれ、とおれは思うてた」「これからの日本は、おれの親の時代のようにこじきしてても食えるというようにはいかんとおれは思うてる。戦前までの日本は、十年周期ぐらいで景気がようなったりわるうなったりしよった。それでおれの親のようなひとでもなんとか食えよった。けど、これからはちがう。この会社にしても日本全体にしても、これからさきどう生きのびていったらええか、考えてみればお先まっくらや。そんな時代に、おおそうか芸術家になるか、しっかりやれ、いえると思うか」(139-140頁)

 上司は芸術家の家族に生まれ、現実を知っているからこそ、姫田さんを止めようとした。この上司の言葉に頷く人が、現代では多いかもしれない。これは1953年ごろの話である。経済的に先行きが見えない社会で、若者が芸術家になろうとするのを親心として止めようとしたのである。

 また、姫田さんの両親も演劇をやっていくことには反対した。父親は「遊び人」になることに怒り、母親は泣いた。また、姫田さんが高等教育を受けることを支援した兄も怒った。兄は学歴差別の中で苦しんできたからこそ、姫田さんを無理してでも進学させたのである。だからこそ、住友金属工業への入社は家族の誇りであった。姫田さんはこれらの家族の期待を裏切り、仕事をやめ、演劇のために東京に出ていくのである。

 その後、東京に出た姫田さんはどうなるのだろうか。ここから先の姫田さんの人生はさらにあちこちに転がり続けるので、気になる人はぜひ本を読んで欲しい。姫田さんは、アイヌの暮らしを記録したことで有名な映像作家であり、日本の映像人類学の先駆者であると位置づけられ、国際的にも高く評価されている。

 では、この姫田さんの話から何が言えるのだろうか。第一に、少なくとも1950年代には演劇人は「遊び人」であるとされ、冷ややかな視線が注がれていたということである。勤勉な労働者によって、芝居をして遊んでいるようなものは、唾棄すべき存在なのである。今でも日本社会では、汗水流して働くことこそが、人間にとって大事なことであるという規範は強く、勤労意識も高い。近年はワークライフバランスなどの言葉も取り沙汰され、「労働」と「余暇」、または「職場」と「プライベート(家庭)」の両方が人間には必要であるという主張も強まっている。しかしながら、まだまだ労働を重視する価値観は根強い。

 だが、姫田さんの話を見ていくと、まさに労働から表現の欲求が生まれているのがわかる。演劇部の活動で、ふだんは見られなかった同僚たちの人間としての生々しい感情の表現に触れ、自らも押し殺してきた感情を解放させ始める。また、身近な人や職場で起きている問題を、演劇の表現を通して代弁しようと試みる。姫田さんの話の中で、労働と演劇は全く切り離されていない。むしろ、労働の経験こそが、姫田さんの演劇作品を生み出しているのである。ここで、両者は繋がっている。

 その意味で演劇は、本来は労働者にとって必要なものでもあるはずだ。多くの人は賃金を得るために働く中で、自分を押し殺し、意に沿わぬ行為もせざるをない。たとえば、学校でのいじめであり、職場での差別であり、家庭内の暴力であり、近所でのいさかいであり……その息苦しさや抑圧を感じていたとしても、言葉にすることは難しい。その中で演劇を見ることは、自分たちの葛藤が舞台上で演じられているのを目にすることになる。舞台上の虚構の物語の中に入り込むことで、普段から抱えている、言葉にならないような何者かが語られ、俳優の演技によって解放されていくのを擬似的に体験できる。そのことにより、観客もまた生の実感が得られるのではないか。

 第二に、それでも演劇は労働者としての生活の規範を逸脱しうるということである。もし、労働者演劇こそがすばらしいとすれば、姫田さんの退職を止めた上司のように、働きながら芸術を続ければよかった。だが、姫田さんは労働の中で自分の生きる実感は奪われていき、感受性が鈍り、「あかん人間になってしまう」と感じるようになる。だから、姫田さんは職場をやめてしまうのである。そして家族の期待を裏切ることになる。

 労働者としての生活を守るためには、珪肺病の問題も見なかったことにして、職場の仕事を感情殺して淡々と行うべきだろう。だが、姫田さんは演劇を通してそれができなくなっていく。目の前にある問題を代弁し、その当事者の思いのふかさ、重さを表現したいと考えるようになる。だが、それを決行すれば労働者としての生活は破綻してしまうかもしれない。そのため、姫田さんは演劇と労働のどちらかを選ぶしかなくなって、仕事をやめてしまう。その意味で、演劇は労働を否定するものになり得る。

 その意味では、演劇人は現代社会の「生贄」であるとも言えるかもしれない。観客となった労働者は、客席から演劇を観ることで、「生の実感」を擬似体験することはできるが、実際の労働者としての生活は失わずに済む。演劇人が安定しない経済状況で、作品生活に魂を削って打ち込むことで、労働者はその成果を対価を払って受け取ることができる。だからこそ、演劇は社会で必要とされるのではないだろうか。ふだんは心を殺して働かねばならないとしても、劇場に行き、生の実感を得て擬似的に解放される。その倫理的善悪はおいておくとして、それは(今よりもっと)多くの人たちが求める経験になり得ると思われる。

 第三に、では日本の演劇は実際に、そのような社会の問題に向き合うような作品を制作しているのだろうか。また、そのことを姫田さんのような水準で語れるのだろうか。私はこの点についてはまったくわからない。そもそも、私が第一と第二に述べたような演劇への期待は、実際の演劇人の実情とはかけ離れたもののようにも思う。姫田さんの本が出版されたのは1977年であり、今よりずっと実存の悩みが真剣に取り扱われた時代である。また、私はロスジェネ世代にあたり「自分探し」世代でもあるので、姫田さん本の表題にある『ほんとうの自分を求めて』というテーマは共感するが、現在は「本当の自分なんてない」というニヒリズムのほうが優勢である。私は姫田さんの言葉は深く受け止めるし、心が動かされるが、それが今の演劇にそぐう話題であるのかわからない。ただ、世代にかかわらず、このような姫田さんの語る演劇の経験こそが、心に刺さり、演劇に引き付けられる、という人も一定数はいるように思う。

*1:「持続化給付金」が最大200万円を給付し、その使用目的を問わないのに対し、「持続化補助金」は最大50万円(新型コロナウイルスの影響がある場合は100万円)を、設備改修、商品開発、業務効率化などに対する投資を補助する。補助金の書類では新型コロナウイルスの期間を増産に向けた「助走期間」であるとみなすことが推奨されている。

*2:しかしながら、「持続化補助金」では宿泊業への補助の強化は明記されているので、経産省側では観光業でも増産が可能だとみなしているということだろう。実際に、Wi-Fi環境の整備や多言語対応、会計処理の整備等で補助申請をする観光業の事業者も多いと思われる。